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物語の生まれる街「北の鎌倉」我孫子探訪記

2021年11月5日 第649号

松戸から常磐線快速に乗れば15分以内で行ける我孫子。駅南口から手賀沼も近く、大正時代、その湖畔には白樺派の志賀直哉、柳宗悦、武者小路実篤が邸宅を構えて家族ぐるみで暮らしていました。彼らは自然あふれる土地で充実した日々を過ごし、名作を創り上げ、我孫子を自身の作品にも取り上げたのです。文学だけでなく様々な芸術や思想が育った「北の鎌倉」をこの度、散歩がてら訪ねてみました。

【巨匠が働いた巨大な唐揚そばのお店】

我孫子駅名物、巨大唐揚がのるそば(うどん)

我孫子駅は常磐線各駅停車の大半の終着駅で松戸市民にもお馴染みです。その昔、我孫子駅には駅弁が売られていましたが、時代の流れと共に業者は立ち食いそば屋になりました。ですが、ただの立ち食いそば屋ではありません!全国区で有名な「唐揚そば」が食べられるお店なのです。記者は食欲旺盛ですが、初めて我孫子駅の唐揚そばを見た時はド肝を抜かれました。写真を見て分かる通りとにかく巨大!そして美味しい!ですが食べにくい(笑)。そば屋の名は「弥生軒」。そこで働いていたのが若き日の裸の大将山下清です。店舗出入口の扉には画伯のメッセージや在りし日の写真が飾られていて、駅弁の掛け紙には清の作品が使用されていました。

【「北の鎌倉」を探訪!】

楚人冠邸母屋の廊下

駅スタンプを押して南口を出ると「我孫子市ゆかりの文化人」の碑があります。鉄道が開通すると手賀沼湖畔は別荘地となり、大正期には志賀直哉をはじめ著名人が邸宅や別荘を構えて我孫子は「北の鎌倉」と呼ばれたそうです。駅近くを通る国道356号線は旧水戸街道。沿道には明治天皇が宿泊された宿や御飲料井戸があり、我孫子宿が栄えた名残が見られます。
先日の石碑紹介で「志賀直哉邸」は訪れたので、今回まずは「杉村楚人冠記念館」を訪れました。彼は日本を代表するジャーナリストで自宅母屋が記念館になっています。ここで記者は白樺文学館と鳥の博物館共通のチケットを勧められて購入しました。何と有効期間が1ヶ月もあり500円とは太っ腹!「白馬城」と称した屋敷は見応え十分で、ジャーナリストとしてだけでなく我孫子の俳人の育成や、我孫子ゴルフ倶楽部の創立に尽力した彼の偉大な功績を恥ずかしながら初めて知りました。楚人冠はここで亡くなり、八柱霊園で永眠しています。

楚人冠の書斎

【日本で唯一鳥だけを扱う「鳥の博物館」】

「手賀沼ふれあいライン」に出て、歩くこと東へ30分、日本で唯一鳥だけを扱う「鳥の博物館」に到着しました。記者は鳥に物凄く興味がある訳ではありませんが、ここを訪れて鳥への関心が一気に高まりました。何より凄い点は、鳥の標本の数が半端ではなく、一回見るだけでもう満腹です!展望テラスからは手賀沼の風景を一望できて、売店では良心的な価格の可愛い鳥グッズをたくさん見つけました。

標本の数に圧倒!

【手賀大橋から手賀沼を眺める】

手賀大橋から我孫子の街を望む

鳥の博物館から西へ戻る途中、県道8号線の手賀大橋を渡ってみました。橋の中央まで来ると手賀沼の美しい風景を堪能することができます。橋を渡り切れば柏市で、橋のたもとには道の駅「しょうなん」があり、我孫子市側の橋のたもとには松戸市出身で元プロ野球選手・監督の和田豊氏が在学中に甲子園出場を果たした千葉県立我孫子高校があります。

【ハケの道】

ハケの道

再び西へ向かいますが、車通りの多い「手賀沼ふれあいライン」を通るのではなく、並行する「ハケの道」を進みます。ハケとは崖地形や丘陵・山地の片岸を指す地形名で、ハケの道は古くから地域住民の通行に使われていました。沿道の崖からは湧水が染み出ている個所も随所に見られ、その沿道には旧我孫子本陣離れを移築した母屋が特徴の「旧村川別荘」や先日訪れた「志賀直哉邸跡」、「白樺文学館」など我孫子の歴史を知る上での要所が点在しています。

志賀直哉邸側にある白樺文学館
旧村川別荘母屋

【嘉納治五郎と我孫子】

先日「志賀直哉邸跡」取材の際に気になっていたハケの道沿いにあるレトロな煎餅屋に到着しました。歩き続ければ腹は減るもの(笑)。ガラガラと戸を開けて店内に入るとやはりレトロ!陽気なおかみさんにお勧めを聞き、煎餅を大人買いしてしまいました。そして次に向かったのは、すぐの場所にある武人であり、教育者であり、この人も八柱霊園で眠る「嘉納治五郎の別荘跡」。ハケの道から天神坂という急坂を登り切った右手にある天神山緑地が治五郎先生の別荘跡で、本人そっくりな銅像は、じっと手賀沼を眺めていました。実は治五郎先生、先の楚人冠や村川氏、我孫子町長たちとは熱く信仰を結び我孫子の町と大変繋がり強かったことを知りました。
別荘近くで農園を営み、新進の農園経営にも取り組んでいたそうです。
また白樺派の柳宗悦とは親類関係で、すぐ隣に宗悦住居跡である三樹荘跡があります。宗悦は陶芸家バーナード・リーチに自宅の敷地に窯を築かせ、益子焼で有名な人間国宝濱田庄司との出会いもあり、まさに充実した日々を過ごしました。その宗悦が我孫子に住むキッカケは治五郎の勧めで、その後宗悦は直哉を呼び、そして実篤も我孫子に住みと、北の鎌倉が始まるキーパーソンは治五郎だったのです。柔道をスポーツとして確立させ、オリンピック招致に一生を尽くしただけではなく、我孫子の地にも多大な影響を及ぼしたまさに偉人です。

天神坂
嘉納治五郎別荘跡

【白樺派のカレーライスを食べよう!】

柳宗悦の妻兼子は声楽家で、手賀沼湖畔に住む白樺派の文人たちに今でこそ国民食ではありますが当時は先進的な食文化の象徴であったカレーライスを振る舞っていました。しかも「隠し味に味噌を使ったら?」とバーナード・リーチの助言を受けて作ったスペシャルなカレーだったらし
いのです。ネットで調べると「手賀沼公園」内にある「我孫子市生涯学習センターアビスタ」内にある「喫茶ぷらっと」で、その当時の味を再現した「白樺派のカレーライス」が食べられることを知り、ランチにいただきました!カレーはセットになっていてサラダとスープが付いてきます。そしてメインのカレーですが、ルーはサラサラの薄味で具は肉以外は溶け込んでいる様子。つまりスープカレーの感じです。大正ロマンの味をぜひ、ご賞味ください!

白樺派のカレー

【武者小路実篤邸跡】

武者小路実篤邸跡

公園内で手賀沼湖畔を間近で眺めて、リーチの碑にカレーのお礼をした後は、ハケの道を更に西へ進みます。向かうは船戸の森にある武者小路実篤邸跡。当時、直哉は約700m先に住む宗悦との連絡は蓄音機のラッパを外しメガホンにして用が足りたとのことですが、2㎞先に住んでいた実篤とはそうもいかず、2人は水路を舟で行き来したそうです。実篤邸跡から我孫子駅へ戻り、全行程約4時間、久々にたっぷり歴史散歩を満喫しました!
(パイン)

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