下総総社跡(下総国府跡)(市川市国府台)
2022年12月2号 第675号
総社(六所神社)は、国府(府中)内に建立されました。国府の役人である国司は、有力神社を管理するとともに、参拝する義務があったので、自分たちが政務を行う官庁域(国庁・国衙)の近くにそれらの神社の神々を合わせてまつった神社を用意することで効率化しました。
現在の千葉県北部を中心にした地域は、当時は「下総国(しもうさこく)」と呼ばれており、写真の下総総社跡は、かつての下総国府内の国庁(国衙)の北東側にあたるようです。ただし、下総総社跡の碑が設置されているスポーツセンターの敷地の発掘調査でも総社そのものの遺構は見つかっていません。参道の痕跡などからの推定です。
二度にわたる発掘調査で、六十戸以上の竪穴式住居の跡や、礎石を使わないで立てた数棟分の掘立柱(ほったてばしら)の遺構、当時は日常的に使われていた「土師器(はじき)」や「須恵器(すえき)」などの土器が多量に出土したことから、下総総社跡を含む一帯が下総国府であったことは間違いなさそうです。
かの源頼朝(みなもとのよりとも)は、この下総国府で千葉常胤(ちばつねたね)の助勢を受けることによって、鎌倉幕府の創設を成し遂げられました。 (かつ)
※参考図書/「東葛飾の歴史地理」
◎所在地/市川市国府台1・6・4 市川市スポーツセンター敷地内
この記事へのコメントはありません。