2023年2月24日 第680号
もうすぐ…ひな祭り。今回はひな祭りに関することをご紹介いたします。
二人して 雛にかしづく 楽しさよ ~夏目漱石~
三月三日はひな祭り。桃の節句、上巳(じょうし)の節句ともいいます。女の子のお節句で、ひな人形を飾り、桃の花を活けて祝います。ちらし寿司やハマグリのお吸い物、菱餅やよもぎ餅といった食べ物をいただくのも楽しいですね。そんなひな祭りに関することをちょっとご紹介。
衣手は 露の光りや 紙雛 ~与謝蕪村~
ひな祭りは、女の子の健やかな成長を祝うお祭り。その起源は、三世紀ごろの中国の風習からと言われています。三月三日の節句は「上巳の節句」とも呼ばれます。上巳とは月の最初の巳(へび)の日のことで、三国時代に三月三日に固定されたのだとか。本来は、水辺で罪穢れを祓い清める日であり、人間の代わりに穢れを負ってくれるのが人形(ひとがた)でした。人はこの人形を撫で、息を吹きかけることで罪穢が移り、その人形を海や川に流すと心身が清められると信じられていたのです。この風習は、流し雛という形で残されています。
『源氏物語』には、まだ子どもだった紫の上が人形で遊ぶシーンが描かれています。平安時代、このように人形で遊ぶ雛遊(ひいなあそび)は、上流階級の女児の遊びでした。室町時代、この雛遊に用いられた立派な人形と、上巳の流しびなとが結びついてひな祭りとなったと言われています。(諸説あります)
箱を出る 顔わすれめや 雛二対 ~与謝蕪村~
江戸時代、日本橋周辺、人形町、麹町に雛市が立つようになります。その後、浅草や池之端、神楽坂上や芝明神前にも広がり、江戸の雛市は百年ほどの間に倍増したといいます。京都では四条、大坂では御堂前にも立つようになりました。市では、内裏雛の他、紙製の立ち雛、這子人形、雪洞(ぼんぼり)や屏風、右近の橘・左近の桜、手道具、諸器物など所狭しと並んでいました。人々は毎年道具を買い足して充足することを楽しみとしていたのです。ひな人形が現在の形になったのは、江戸末期。この時、江戸では既に七~八段飾りと豪華だったといいます。一段目は内裏雛。二段目の三人官女は宮中に使える女官。三段目の五人囃子は、猿楽能に演奏する囃子方と謡の五人で、左から太鼓、大鼓、小鼓、笛、謡の順に並びます。四段目は右大臣・左大臣と言われていますが、弓と矢を手にした、御所を守る随身です。五段目は仕丁と呼ばれる雑役と、左近の桜・右近の橘が置かれます。実際に京都御所の紫宸殿に植えられていて、内裏雛から見て左に桜、右に橘なのでお間違えなく。
蛤の ひらけば椀に あまりけり ~水原秋櫻子~
一対の貝がぴたりと合わさり、他の貝と合わさることのない蛤。「貝合わせ」は、そんな蛤の特性を活かした遊びです。ひな祭りに蛤のお吸い物をいただくのは、一組の夫婦が添い遂げられますよう、良縁に恵まれますようにとの願いを込めて。また三月三日には潮干狩りを兼ねた磯遊びと呼ばれる行事があり、浜辺にごちそうを持ち寄って食べるのだそう。この時に、浜で海水をすくって顔や手を洗う、病人がいる家では海水を持ち帰り手足を洗わせるなど、磯遊びには単に浜で遊ぶだけでなく、みそぎの要素もあるのだとか。蛤を食べる風習は、その時に捕った貝をお吸い物にしたからとも言われています。ちなみにさざえを食べることもあるそうですよ。
桜餅 草餅春も 半かな ~正岡子規~
草餅とも呼ばれるよもぎ餅もまた、みそぎの行事にふさわしい食べ物。かつては、ヨモギではなく母子草を入れた餅を食べていました。母子草は春の七草のひとつ、ゴギョウのこと。この餅を上巳の節句に食べる風習は古く、中国の紀元前からだと言われています。江戸時代初期には既に母子草からヨモギに変わっていましたが、その理由は定かではありません。母と子をついて餅にするのは縁起が悪いからという説もありますが、ヨモギは色が濃く、香りも良い上に大量に採れるという理由で変わったとも言われています。またヨモギはその良い香りが邪気を祓う力を持つとされています。
菱餅や 雛なき宿も なつかしき ~小林一茶~
菱型は、菱という植物の形から名づけられました。菱とは池や沼に群生する一年草で、広菱型の葉っぱがプカプカと水に浮かんでいます。実は食べることができて、クリのような味わいなのだとか。古い池や沼を好む菱は繁殖力が強く、それにあやかり子孫繁栄を願って菱型の餅は上巳の節句のお菓子になったといいます。現在の菱餅は、ピンク、白、緑の三色。ところが江戸時代には、上下が緑、中が白の二色でした。これが三色となったのは、明治時代以降のこと。ピンクは桃、白は雪、緑は大地や、新緑を表しているとか、諸説あって確かなものはないようです。また、ピンクは解毒作用のあるクチナシで色付け、白い餅には滋養強壮によい菱の実を入れ、増血効果のあるヨモギで緑の餅を作るなど、菱餅には上巳の節句らしい思いが込められています。
雛の影 桃の影壁に 重なりぬ ~正岡子規~
「三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花のいまさきはじむる。…」『枕草子』。ひな祭りが桃の節句とも呼ばれるようになったのは、ちょうど旧暦の三月三日頃に桃の花が咲き始めることによります。『古事記』のイザナギ・イザナミの神話の中では、イザナギが黄泉の国から逃げ帰る際に、追手のヨモツシコメに向かって桃の実を投げつけて退散させます。このことから、古来より桃には邪気を祓う力があるとされ、穢れを落とし身を清める節句が桃の節句となったのではないかとも言われています。 (ミイ)
※参考文献/
『史料が語る年中行事の起源』 阿部泉 著 清水書院
『暮らしのならわし十二カ月』 白井明大 著 飛鳥新社
『日本の歳時伝承』 小川直之 著 アートアンドクラフツ
『野に咲く花 増補改訂新版(山渓ハンディ図鑑)』
林弥栄 監修 山と渓谷社
俳句季語一覧ナビHP
和のこころ.comHP
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