岩山稲荷(松戸市根本)
2024年5月24日号 第710号
岩山稲荷は、その名の通り、小高い岩山の上にあります。現在は、それが周囲から際立っているように見えますが、かつては、東方の松戸市役所や神明神社、北方の金山神社などとともに、台地が形成されていたと思われます。常磐線の線路敷設などの土地開発により、現在のようにそれぞれが高台に存在するようになったと考えられます。
この台地には、戦国時代に松戸を治めていた高城氏が、根本城を構えていたと思われます。今は確認することができませんが、金山神社の北側には、城を守るための曲輪らしき遺構が見られたという記録もあり、城主の墓があったなどという伝承も残されていることからも、かつての台地の上に城郭があったことをうかがわせます。
岩山稲荷の建造の年月日や施主・大工などを記した板札「棟札銘」も見つかっていて、そこから岩山稲荷の建立主が高城下野守だったことがわかっています。岩山稲荷は、神明神社や金山神社などとともに、根本城内にあったと推察されるので、棟札銘に記されていた年月日から、高城胤吉の三男・胤知が根本城の主であった可能性があります。
線路を挟んだ向こう側に現在ある吉祥寺も、かつては根本城内にあったと考えられています。
(かつ)
※参考図書/「東葛の中世城郭」
◎所在地/千葉県松戸市根本
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