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古きよき城下町&宿場町、古河を歩きつくす

2025年4月18日 第732号

 今回は古河(こが)。茨城県古河市の市街地は、前回紹介した埼玉県岩槻区同様の城下町で、日光街道の宿場町。思った以上に古い建築物や寺社仏閣が多く、歴史好きな記者は大満足!散策の目安になればと、記者が歩いたコースをご紹介します。

 今回もマイカーで出かけました。岩槻へのアクセス同様、流山市内を抜けて玉葉橋を渡り、埼玉県道21号線から80号線を通って、県道42号線へ。そして国道4号線バイパス、国道354号線を経て、松戸市内から古河駅前までは2時間程の道のりです。記者は下調べせず古河駅前のコインパーキングを利用しましたが、1日900円とそこそこ高い。実はその後、散歩途中で安値のコインパーキングが結構あることが分かりました(泣)。電車で行くならば、上野駅に出て、宇都宮線の利用がベストでしょう。

 記者は古河と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「古河公方」の名称。関東地方戦国時代のはじまりと言える享徳の乱で、鎌倉の地を追われた鎌倉公方が、本拠地にしたのが古河です。その後、後北条氏の支配を経て、徳川家康の関東入りにより古河藩が成立。江戸時代、歴代藩主は土井利勝をはじめ幕府の要職を務めた大物ばかりでした。それだけに古河藩は、江戸を防衛する重要拠点だったと分かります。また、日本橋から数えて日光街道9番目の宿場町として栄えました。

 宇都宮線(東北本線)が走っているから、埼玉県か栃木県と迷う人が多いと思いますが、実は茨城県。ちなみに渡良瀬川を渡って位置する東武日光線の新古河駅は埼玉県で、このあたりは県境が複雑……。埼玉・栃木・群馬県をまたげる三県境も古河の近くにあるんですよ。

本陣は跡形もなく小さな石碑が残るのみ

 古河駅構内の観光案内所で、「古河てくてく観光マップ」をいただきました。地図を見ると寺社仏閣が多い。1日で全部は回れないため数件に絞り参拝することに。まずは駅西口を出て、日光街道に出ます。古河宿本陣跡には石碑が残るのみ。でも、街道を北へ進むと交差点で古そうな日光道中の道標を見つけました。神宮寺に立ち寄った後は、街道筋と別れ、杉並通りを経て参宮道路へ。渡良瀬川方面へ進みます。

杉並通りに残る武家屋敷の面影
古河の総鎮守「雀神社」

 駅前から大分歩いて市街地の外れへ、古河の総鎮守で、古河公方家や歴代古河藩主から崇敬を受けた雀神社に到着しました。社殿は見た目かなり古そう……。それもそのはず、1602年に藩主となった松平康長が造営したものがそのまま残っています。境内の隣は渡良瀬川の土手。土手に登ると渡良瀬遊水地だけでなく、赤城山や榛名山、驚くことに富士山までも見渡せます。記者が何度も訪れた道の駅「かぞわたらせ」の建物も見えました。

土手に上がれば富士山も見える!

 土手を下りて、永井寺(えいせいじ)の境内を通り抜ける途中、巨大な石碑を目にしました。倒壊したものもあり、説明書きには「永井家墓所」と記されています。実は永井寺、2代に渡り古河藩主を務めた永井氏の菩提寺で、初代藩主直勝が創立しました。直勝は小牧・長久手の戦いで織田信長の重臣、池田恒興を討ち取った武将としても有名です。そこにあるのは直勝の墓と2代尚政、3代尚征と弟の供養塔でした。

永井寺の永井家墓所
古河城の貴重な遺構

 永井寺を出て三国橋に続く道を渡り、小高い場所にある頼政神社を訪れます。地味な神社ですが、境内は古河城の土塁跡。古河城は、江戸時代に近代城郭として整備され、北方の守りのためだけでなく藩庁が置かれ、将軍が日光東照宮へ参拝する際は宿の機能も果たしました。そんな古河城、明治時代の廃城令により建物はすべて取り壊され、大正時代の改修工事で城跡もほぼ消滅。ゆえにこの場所は、貴重な遺構と言えます。その後は、古河城追手門跡を通過して江戸町通りを東に進み、正定寺を訪れました。

 家康に瓜二つで、御落胤とも噂された土井利勝。7歳にして後の2代将軍秀忠の傅役(教育係)に任命され、3代将軍家光の傅役も務めました。江戸幕府では、一国一城令や武家諸法度、新通貨制度の制定に関わり、参勤交代の制度を取り入れ、宇都宮城釣天井事件で本田正純が失脚した後は、江戸幕府の最高権力者に登り詰めます。1633年、古河藩16万2000石の藩主に就任。正定寺は利勝が創立した土井家の菩提寺です。

正定寺の土井利勝墓所
日本三大「長谷観音」は大賑わい!

 古河街角美術館から路地に入り、モダンな造りで立派な古河一小、古河文学館、鷹見泉石記念館、古河歴史博物館(古河城の出城、諏訪曲輪の遺構が見られます)を通り、日本三大長谷観音としても有名な「長谷観音」に到着。戦国時代の1493年、初代古河公方の足利成氏が、鎌倉の長谷寺から十一面観音立像を勧請し、堂を建てたことにはじまり、江戸時代には歴代藩主の祈願所だった由緒ある寺院です。この日、訪れた寺社仏閣で一番の賑わいを見せていました。

お万の方の墓所がある「妙光寺」

 「お万の方」、またの名を養珠院。家康の側室にして、第1子は徳川紀州家の祖、第2子は水戸徳川家の祖。つまり、徳川御三家はこの人なくしてありえず、水戸黄門光圀のおばあさんなんですね。千葉県勝浦市「お万の布さらし」の伝承は、過去に記者も取り上げました。そんなお万の方の墓が長谷観音近くの「妙光寺」にあります。墓所がある本遠寺とのつながりで分骨されたらしいです。また、寺のそばには家老として、藩主土井利位に仕えた鷹見泉石の誕生地があります。利位が大阪城代であった際に「大塩平八郎の乱」を鎮圧するなど政治手腕を発揮するだけでなく優れた蘭学者で、数多くの研究資料を収集しました。功績は知らずとも渡辺崋山筆で国宝である「高見泉石像」は、教科書などで一度は見たことがあると思います。

八幡神社の立派な銀杏

 日光街道を横断し、古河公方ゆかりの「八幡神社」へ。1642年、現在の地に移転された際に植えられたと伝わる立派な銀杏が社殿そばにあります。神社のすぐ近くには酒蔵がありますが、日曜はやっぱり休み。仕方なく駅構内のショップにて古河の地酒を買って帰宅しました。
(パイン)

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