松龍寺(松戸市松戸)
2025年5月23日号 第734号

広大山 高樹院 松龍寺は、江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠の治世に、高木筑後守正次が父・広正の菩提を弔うため、小山に建立・開山しました。その地ではたびたび出水が発生したため、現在地に移築されました。当時の寺域は戸定が丘一帯に及ぶほど広大であったと伝えられています。山号の「広大山」の「広」は、広正の名から取られたものとされています。
高木広正は、松平元康(後の徳川家康)に仕えました。三河一向一揆では一揆側に加担し、一時決別しましたが、後に許されて帰参しました。三方ヶ原の戦いでは、自身の馬を差し出して家康を救ったとも伝えられています。江戸幕府では、家康の跡を継いだ秀忠にも仕え、側近として長く尽力しました。
山門に掲げられた「三葉葵の紋」は、そうした功績を含め、徳川家との深いつながりを示しています。松龍寺は、八代将軍・徳川吉宗、十一代将軍・家斉、十二代将軍・家慶の御鹿狩の際の御小休所となったほか、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜も日露戦争の戦勝祈願のために参拝したと伝えられています。 (かつ)

※参考図書/「松戸の寺 松戸の町名の由来 松戸の昔ばなし」「松戸史談」「歴史街道」「新京成電鉄沿線ガイド」
◎所在地/松戸1505ー1
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