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庭園へ行こう!~清澄庭園~

2025年8月1日 第739号

 東京都江東区にある清澄庭園。9つある都立文化財庭園のひとつです。商家や住宅が立ち並ぶ一角にある広大な庭園。草木や季節の花々、野鳥たちが出迎えてくれます。

 明治11年(1878)に岩崎彌太郎氏が別荘としてこの地を購入。一説によると以前は、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡とも伝えられた土地で、享保年間には下総関宿藩の藩主、久世大和守の下屋敷でした。明治維新後は荒廃していましたが、彌太郎氏とその後を受け継いだ弟の彌之助氏が見事な庭園に作り上げていきました。「深川親睦園」と名付けられた庭園には、国内外の賓客やむかしなじみ、社員の慰労の場となりました。大正9年(1920)、市民の行楽地が少ないことを思った岩崎家が、敷地の南東部約三千坪を一般に公開します。清澄遊園です。ところがそのわずか三年後の大正12年(1923)9月、関東大震災が起こり、建物は焼失。老樹や建物は失ったものの、焼け残った樹木や大きな池がここに逃れた人々の命を救います。庭園は避難所として開放され、救護施設や深川区役所の仮設事務所が置かれました。大正13年(1924)、彌太郎の長男、久彌氏は、災害時の公園緑地の重要性を痛感。防災機能を備えた公園として永久に保存するために、震災の被害が比較的少なかった東側半分1万5541坪を東京市に寄付されました。東京市は復旧工事を行い、昭和7年(1932)7月に東京市の公園として開園しました。昭和20年(1945)3月、東京は太平洋戦争の大空襲に見舞われます。清澄庭園は、避難場所として再び多くの市民の命を救うことになります。こうして人々を癒し、楽しませ、時に救った清澄庭園は、昭和54年(1979)3月31日に東京都の名勝に指定されました。

庭園入口
枯滝

 入り口を入ると、間もなく池が見えてきます。大泉水(だいせんすい)という大きな池。以前は隅田川より水を引いていたといいます。そのため、潮の満ち引きによって池の景観が変わって見えたとか。現在は雨水でまかなっているそうです。建物や木々、富士山を模した山などが水面に映り、美しい景色を作り出しています。カメやすっぽんが甲羅干しをしている姿も見ることができ、生き物たちにとっても命の宿る場となっています。

 大泉水には3つの島が浮かんでいます。中の島、鶴島、松島です。このうち、中の島は橋が架けられていて、渡ることができます。島の先端に立つと、まるで大泉水の真ん中にいるよう。橋も趣があり、富士山をバックに写真映えするスポットになっています。鶴島と松島は人が渡ることができません。木々が生い茂り、野鳥が羽を休めています。島が水面に映る姿も美しく、特に松島の先端にある雪見燈籠は必見です。

 清澄庭園は、石の庭園。とにかく名石が数多く配されています。これらの石や岩は、岩崎家による自社の汽船でやってきたもの。摂津御影石、伊豆川奈石、生駒石、伊豆磯石、伊豆網代石、紀州青石、讃岐御影石、佐渡赤玉石など全国の石の産地から集められたことがわかります。たくさんの石の中で特に注目したいのが、富士山のふもとにある枯滝と呼ばれる石組。縦長の巨大な岩と無数の小さな石で形作られたものは、流れる川を表しているのだそうです。

 「古池やかはづ飛び込む 水の音」。あの松尾芭蕉が貞享3年(1
686)に詠んだ有名な句です。芭蕉は延宝8年(1680)から元禄7年(1694)まで深川の地に草庵を結び住んでいました。芭蕉庵史蹟は清澄庭園より600メートルほど北にある芭蕉稲荷神社あたり。句碑は芭蕉庵史蹟の敷地が狭かったために清澄庭園に建立されました。昭和9年(1934)10月のことでした。

芭蕉の句碑
富士山

 清澄庭園には富士山があります。この庭園で最も高い築山です。遠くから眺めると本当に富士山のように美しく、近くで見るとなかなかの迫力。関東大震災以前は、山頂辺りには何も植えず、サツキやツツジなどの灌木類を横に数列植えて、富士山にたなびく雲を表現していたそうです。東側山麓を掘りこんだ位置に、阿弥陀供養塔、庚申塔、馬頭観音供養塔の石仏群があります。由来はわかっていませんが、明治期に造園する際に出土したものといわれていて、江東区の文化財に指定されています。

 入り口を入って左に進むと見えてくる立派な建物。昭和3年(1928)、大正天皇の葬儀に使われた葬場殿を移築したのが最初ですが、戦災で焼けてしまったため、戦後の昭和28年(1953)に貞明皇后の葬場殿の材料を用いて再建されました。なんとここ、集会施設として借りることができるのですよ。53坪の大広間、ステージ、和室が備えられています。南側はガラス張りで、芝生の庭や大泉水を見渡すことができます。

大正記念館

 大泉水に突き出るように建っています。明治42年(1909)、国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てた数寄屋造りの建物で、こちらも集会場として利用することができます。外観も風情がありますが、中は27畳もある畳敷きのお部屋で、窓から池を眺めているとコイが寄ってくるのだとか。震災や戦災を免れ、昭和60年(1985)の全面改修を経て現在に至ります。

涼亭

 次に松陰神社前駅から世田谷線に乗って「上町」駅で下車。駅前から「城山通り」を北に進むと、その名のとおり本当に城跡があるんです。現在は公園として整備されていますが、かつては世田谷城という平城があったんだとか。案内板を見ると、長年にわたり足利氏一族である奥州吉良氏の居城でしたが、戦国時代には後北条氏の傘下になったため1590年小田原征伐ののち廃城になったそうです。23区内の住宅地にこんな遺構が残っているなんて初めて知りました。

磯渡り
なつめ型 水鉢

※取材協力/清澄庭園サービスセンター
※所在地/東京都江東区清澄3丁目 東京メトロ「清澄白河駅」徒歩3分
※開園時間/9時~17時(入園は16時半まで)
※休園日/12月29日~1月1日
※入園料/一般 150円 65歳以上 70円
※駐車場なし

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