2026年2月13日 第751号
松戸には、天照・月読・須佐之男の三貴神を今に伝える社が点在しています。古代神話の物語が土地と結びつき、神々の息づかいを感じられる祈りの風景をご紹介します。
黄泉の国から帰った伊邪那岐命(イザナキ)から三貴神が生まれ落ちる
黄泉の国から帰った伊邪那岐命(イザナキ)から三貴神が生まれ落ちる
『古事記』には、伊邪那岐命(イザナキ)と伊邪那美命(イザナミ)が国生みを命じられたと記されています。男神であるイザナキと女神のイザナミは、日本列島の島々を次々と誕生させました。
さらに多くの神を産んだイザナミは、最期に自らの命と引き換えに、火の神・火之迦具土神(ヒノカグツチ)を産み落とします。その激しい炎によってイザナミは重い火傷を負い、それが致命傷となりました。
死んだイザナミを忘れられないイザナキは、死者が行く国・黄泉国(よもつくに)へ迎えに行きます。しかし、すでに黄泉の国で料理されたものを口にしていたイザナミは、その住人となってしまっていました。それでもイザナキの思いに心を動かされたイザナミは、「黄泉の神に相談してみる」と告げ、決して覗かないでほしいと言い残して、闇の奥へと姿を消します。
ところが、待ちきれなくなったイザナキは火をともして中を覗き、すっかり腐敗したイザナミの姿を目にしてしまいます。その恐ろしさに思わず逃げ出したイザナキを、激怒したイザナミと黄泉の妖怪たちが追いかけます。イザナキは必死に逃げ、現世との境界である黄泉比良坂(よもつひらさか)までたどり着き、そこでイザナミと袂を分かつことになります。
黄泉の穢れを洗い清めるため、イザナキは筑紫の日向の小戸の阿波岐原(あはきがはら)で禊を行います。このとき、脱ぎ捨てた衣や装飾品から次々と神が生まれました。そして最後に、イザナキが顔を洗った際、左目から天照大御神(アマテラス)、右目から月読命(ツクヨミ)、鼻から須佐之男命(スサノオ)が誕生します。これが、三貴神の誕生です。
乱暴な須佐之男命(スサノオ)との不和で天照大御神(アマテラス)が岩戸にこもる(神明神社ー小根本、松戸新田、上矢切、大谷口)
イザナキは、三貴神の誕生を喜び、天照大御神(アマテラス)には天の平原である高天原を、月読命(ツクヨミ)には夜の世界を、須佐之男命(スサノオ)には海原を治めるよう命じます。アマテラスとツクヨミは忠実にその役目を果たしましたが、スサノオは泣き喚いてこれを嫌がり、亡き母イザナミへの激しい恋慕と悲嘆から、彼女のいる根の堅州国(黄泉の国)へ行きたいと願い出ます。イザナキは、感情に溺れて秩序を乱す存在としてスサノオを厳しく戒め、ついには追放しました。
こうして黄泉国へ向かうことになったスサノオは、姉であるアマテラスに別れを告げるため、高天原へ向かいます。しかし、その荒ぶる神としての力は凄まじく、山川を揺るがし、天地を鳴動させるほどでした。これを目にしたアマテラスは、スサノオが海原を治めることを嫌がったのは、自分の治める高天原を奪おうとしているのではないかと疑います。
その不安を裏付けるかのように、スサノオは高天原で乱暴狼藉を働きます。神としての尊厳を踏みにじられたと感じたアマテラスは、ついに天界の岩穴である天岩屋戸に閉じこもってしまいました。
太陽を司る神であるアマテラスが姿を隠したことで、世界は闇に包まれ、作物は育たず、禍や魔といった悪しきものがはびこる混沌の状態に陥ります。困り果てた神々は天の安の河原に集い、さまざまな策を講じて、ようやくアマテラスを岩屋から外へ導き出すことに成功しました。こうして再び太陽が世界を照らし出します。
この太陽神・天照大御神を主宰神として祀るのが、全国各地に鎮座する神明神社です。




高天原から追放された須佐之男命(スサノオ)がヤマタノオロチを退治する(八坂神社ー小金、佐野、門前)
高天原での数々の乱暴な振る舞いにより、須佐之男命(スサノオ)は、ついに高天原からも追放されることになります。
今度こそ母イザナミに会うため黄泉国へ向かおうとしたスサノオでしたが、その途上、出雲の地で、櫛稲田姫命(クシイナダヒメ)を囲んで嘆き悲しむ老夫婦と出会います。事情を尋ねると、娘であるクシイナダヒメが、間もなくヤマタノオロチに呑み込まれてしまう運命にあるため、悲しみに暮れているのだと語りました。
これを聞いたスサノオは、ヤマタノオロチに強い酒を飲ませて酔い潰し、その隙に首を斬って退治します。
このヤマタノオロチ退治は、しばしば「治水」を象徴する神話として解釈されます。ヤマタノオロチの「八つの頭と八つの尾」「体に苔や樹木が生え、谷や峰にまたがる」「目は赤く、腹は常に血でただれている」といった特徴は、幾筋にも分かれて暴れる川や、氾濫を繰り返す大河の姿を象徴しているとされます。「八」は「数多い」を意味し、頭や尾は支流、赤い腹は氾濫や土砂災害を表しているという解釈です。
また、酒で酔わせて退治するという手法は、力ずくではなく、人の知恵と工夫によって自然の脅威を鎮めること、すなわち治水の本質を示しているとも考えられます。
八坂神社は、このような「災厄を鎮める神」としてのスサノオを祀る神社です。江戸川をはじめとする河川の氾濫による水害や、疫病を防ぐ祈りが、地域の八坂信仰として今も受け継がれています。



天照大御神(アマテラス)と須佐之男命(スサノオ)の陰で、月読命(ツクヨミ)は夜の国を支配する(三日月神社)
天照大御神を祀る伊勢神宮内宮の別宮には「月読宮」が、また外宮の別宮には「月夜見宮」があります。同じ伊勢神宮の境内に、同一の神であるツクヨミ(月読命/月夜見尊)が祀られているのは、内宮と外宮で担う役割の違いを反映しているためです。内宮と外宮は性格の異なる神域であり、ツクヨミはその両方に深く関わる神でした。
内宮別宮の月読宮におけるツクヨミは、天照大御神の弟神として、昼を司る太陽と夜を照らす月とで世界の秩序を保つ存在と位置づけられています。一方、外宮別宮の月夜見宮では、月の満ち欠けや暦、農事や収穫、神饌を供える時期など、人々の生活を支える月の神として祀られています。天上の秩序にも、地上の暮らしにも不可欠な神であったことから、異なる神域である内宮と外宮の双方に祀られることになったのです。
松戸の三日月神社も、こうした月読命信仰に連なり、月の循環や夜の時間を尊ぶ在地信仰として成立したものと考えられています。
ツクヨミは、アマテラスやスサノオと同じ三貴神の一柱でありながら、神話の中ではほとんど語られません。その理由は、欠落や軽視によるものではなく、神としての性格と役割そのものに由来すると考えられます。
夜の神であるツクヨミは、死や再生、時間、境界と深く関わる存在であり、多くを語らないこと自体が神格の表れともいえます。だからこそ地方では、派手な物語ではなく、人々の暮らしに寄り添う信仰として静かに受け継がれてきました。松戸の三日月神社は、その一例といえるでしょう。(かつ)

■参考図書「神話のなかのヒメたち」「女神信仰と日本神話」「日本書紀と日本語のユダヤ起源」「ことばと呪力」「歴史人」「歴史街道」「ロマンで古代史は読み解けない」

















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