安立寺(松戸市小金原)
2025年9月19日号 第742号

 南北朝時代、後醍醐天皇を中心とする南朝(吉野朝廷)と、足利尊氏が擁立した北朝(室町幕府)が激しく対立し、日本各地で戦乱が繰り広げられていました。その時代、日蓮宗の日朗の高弟九人の一人であり、本土寺三世となった大円阿闍梨・日典(別名:日伝)によって、安立寺は末寺として開基されました。
 本堂には「三十番神」が安置されています。三十番神とは、日替わりで日蓮を守護する神々のことで、一日目の熱田大明神から始まり、三十日目の吉備大明神まで、計三十柱の神が日ごとに配置されています。その一部は、久保平賀の稲荷神社にも安置されています。もともとは村の守護神として祀られていたものでしたが、江戸時代中期、第五代将軍・徳川綱吉の治世、いわゆる元禄時代に安立寺に寄贈されました。
 また、安立寺には、子育・子安・鬼子母神も勧請されており、かつてはそれらを祀る広壮な伽藍が建てられていました。江戸時代には行列ができるほどの賑わいを見せたと伝えられていますが、昭和初期の台風によって倒壊してしまいました。現在は、昭和三十七年に再建された本堂において、これらの神々が祀られています。    (かつ)
※参考図書/「松戸の寺 松戸の町名の由来 松戸の昔ばなし」「松戸史談」「図説あらすじでわかる!日本の神々と神社」「小金地域の歴史」
◎所在地/松戸市小金原1丁目12ー1


















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