原氏宝篋印塔(我孫子市湖北台)
2026年1月16号 第749号

手賀沼北東の古刹・正泉寺の墓地内に荘重な3基が並びます。宝篋印塔(ほうきょういんとう)は供養のため、または墓碑として建つ仏塔の一種。方形の石を積み、四隅に飾りの突起、上部には天へ伸びる相輪を設けます。
向かって右から、原胤次、原主馬助(介と記す資料も)、原胤重を偲ぶ塔。それぞれ1640(寛永17)年、1641(寛永18)年、1679(延宝7)年、江戸初期の没と伝わります。胤次は戦国時代の手賀城主の子孫で、江戸町奉行の与力に抜擢され、嫡男が胤重になります。主馬助は胤重の弟ですが若くして逝ったようです。彼の塔はやや控えめながら、父と兄の間に凛と立っています。
正泉寺は見どころの多いお寺で、鐘楼門に掛かる「女人成仏道場」の扁額は室町幕府3代将軍・足利義満の揮毫との言い伝えも。この鐘楼門の西側(門の写真では右の方)に進めば、本稿でご紹介の、原家の3人の宝篋印塔が目に入ってきます。
余談ながら……彼らの末裔には、明治期を中心に社会慈善事業家として活躍した原胤昭がいます。また(歴史を遡れば)胤次の伯父の孫とされる原胤信も、主水という別名や洗礼名「ジョアン」とともに知られており、キリシタンが迫害される中、1623(元和9)年に殉教しています。
3つの石塔の変化に富んだ造形から、由緒ある一族のさまざまな生のかたちへと、想像は羽ばたいていきます。(さっくん)
◎所在地/千葉県我孫子市湖北台9-12-36

















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