志賀直哉邸跡(我孫子市)
2021年10月22日号 第648号
今回紹介する石碑は『志賀直哉邸跡』碑です。志賀直哉は武者小路実篤、有島武郎らと明治43年に文芸雑誌「白樺」を創刊し、白樺派の中心人物として活躍した小説家です。小説の神様と呼ばれ「暗夜行路」「和解」「城の崎にて」の代表作は、学生時代、国語のテスト前に一生懸命暗記しましたよね?(笑)実はそれら名作が松戸市の隣の隣、我孫子市で書かれた事実を記者はつい最近知りました。直哉は大正4年に我孫子の手賀沼湖畔に家を構えます。そして大正12年までそこで暮らし次々に代表作を書き上げ、まさに充実期を過ごしました。我孫子駅南口前には「我孫子市ゆかりの文化人」の案内版があり、駅周辺手賀沼湖畔には直哉だけでなく武者小路実篤、柳宗悦といった白樺派の重鎮が暮らし、家族ぐるみでお付き合いをしていたようです。その他にも嘉納治五郎やバーナード・リーチ、杉村楚人冠など、我孫子の地は多くの文化人に愛されました。
記者はスマホの地図アプリを頼りに志賀邸跡を目指すと、今でこそ都心のベッドタウンとして通り道には多くの住宅が立ち並んでいますが、大正時代は駅周辺にしか電気は通っておらず、文豪宅周辺は大変静寂だったとのことです。その志賀邸跡は小高い木々に囲まれた場所にあり、現在は書斎だけが復元されています。邸宅跡には所々に当時の志賀邸の様子や直哉を取り巻く環境を伝える説明書があり、白樺文学に接する貴重な場所だと実感しました。 (パイン)
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