小金道を示す道標(松戸市金ケ作)
2022年2月25日号 第656号
小金は、古くから栄えた町でした。戦国時代には小金城があり、城主の高城氏のもとで発展しました。江戸時代には、水戸街道が整備され、「小金宿」としてにぎわいました。
小金道は、その小金の東漸寺あたりから流山に向かう街道です。
今回紹介する道標二つは、その小金道へと続く道を指し示すものです。
千葉西総合病院近くの道標(①)には、「右 金ケ作道」「左 小金道」と刻まれています。おそらく、かつては左方向へ道なりに歩いていけば一時間とかからずに小金道を見つけられたのでしょう。
つつじ公園の向かいにも同様の道標(②)が残されています。刻まれている面の向きが①と反対なので、「右 小金道」「左 金ケ作道」となっています。
どちらの道標にも、道を指し示す文字の他に、「青面金剛」と刻まれています。「青面金剛」は、悪疫や悪魔を払うとされ、当時は十字路などに多く建てられました。神道においての「青面金剛」は、みちひらき(導き)の「猿田彦大神」であり、道中の安全を守る、という意味合いもあったようです。
小金道は、かの小林一茶も足しげく通ったとされます。支援者である大川立砂が馬橋にいたことから、旧水戸街道経由で小金道へ向かったと見られていますが、このあたりはかつての小金牧であり、一茶の句にもそれを読んだものがあることから、二つの道標にも何度か世話になったかもしれません。 (かつ)
※参考図書/「松戸史談」
◎所在地/松戸市金ケ作
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