高塚新田で最も古い元禄2年の庚申塔(八幡神社 松戸市高塚新田)
2024年6月7号 第711号
高塚新田で最も古い元禄2年の庚申塔(八幡神社 松戸市高塚新田)
江戸時代、徳川幕府は年貢をより多く徴収するために、沼や沢、草原などの荒れ地を切り開き、新たな耕地を作ることを推し進めました。こうして開発された耕地が「新田」で、それによって作られた村が「◯◯新田」と呼ばれるようになりました。「高塚新田」はその一つで、かつては松戸市内に同様の「◯◯新田」が十二前後あったようです。
高塚新田は、現在の市川市寄りの国分村などの有力農民層が主体となり、それに一部の江戸町人が加わって、開村されました。
新田の開発では、当時は年貢を免除される期間が三年間設けられていたものの、相当の財力が必要でした。高塚新田開発の中心的な役割を果たした国分村は、水田低地での生産効率が高く、近くの真間川を使って農業生産物の搬送が可能だったことから、わりと裕福な村だったようです。
高塚新田の八幡神社で見られる、元禄二年に造られた庚申塔(上の写真では境内末社の天満宮に向かって並ぶ右側の三基の庚申塔の一番奥、三基の庚申塔を拡大した右の写真の左端)には、当時の入村者十名の名前が刻まれています。開村から十三年後に建立されたものであり、高塚新田で最も古い庚申塔です。以前は高塚団地の道路付近にありました。 (かつ)
※参考図書/「松戸市史中巻近世編」「松戸の寺松戸の町名の由来松戸の昔ばなし」「松戸史談」
◎所在地/松戸市高塚新田五〇五
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