日露戦争英文記念碑(我孫子市布佐)
2024年11月8号 第721号
我孫子市東部、9月の例大祭で有名な竹内神社に建つ、日露戦争中盤の激闘の戦勝碑です。上部に〈IN MEMORY OF THE CONQUEST OVER THE RUSSIANS〉と英文が!その下は〈櫻樹五百本寄附〉の字と、祝賀の桜を寄進した当地に縁ある有力者7人の氏名が並び、左端には〈明治三十八年一月一日 旅順陥落之日建〉とあります。
刻まれた7名士の中に、柳田國男(碑文では男→雄など字が一部異なる)や長兄の松岡鼎、弟の松岡静雄の名も見出せます。鼎はかつて現・茨城県利根町で医院を開業。幼かった弟らも養い、やがて利根川対岸の布佐へ転居したのでした。その後、國男は柳田家の養嗣子となり、石碑建立の1905(明治38)年初めの頃は東京で若き国家官僚として活動。民俗学者として名を成すのはもう少し先のことです。
多くの戦死者を犠牲に旅順は陥落しましたが、勝者として日本が講和に至るのは9月で、この年明け時点では日露の戦いは途中段階。ですので碑文は、前のめりに圧勝を言い立てているようにも感じられます。あえて英語を用いたこと、単語の選択……たとえばVICTORY(勝利)ではなく、CONQUEST(征服)と記したこと……そこに「欧亜の大帝国とその民族を凌駕し、世界の一等国へ!」といった、40年後の崩壊にもつながる危うい高揚感を読み取れるかもしれません。
(さっくん)
◎所在地/我孫子市布佐1220
柳田国男と兄弟が関わった英文石碑が我孫子に‼️初めて知りました