2024年11月22日 第722号
アルティザンとは、フランス語で職人のこと。芸術家を意味するアルティストと似ていますね。そこで「技芸家」の字を当ててみました。でも、芸術作品は作者名とともに伝承されるのに、アルティザンの仕事って、成果物は残っても作者個人にまつわる記憶は失われていきます。素晴らしい作品に比して、あまりに淡い技芸家の痕跡、近隣で追いかけてみましょう。
心を打つ美しい宝がこんな近場にあった!
今回、芸術的な職人技を堪能しに出かけるのは、我孫子市新木と、埼玉県の八潮市。19世紀末ごろ、二代目・後藤藤太郎という人が木彫作品で壮麗に装飾した神社建築が、密やかに佇んでいます。
藤太郎の父、勘治が「初代・後藤藤太郎」と推測され、彼も優れた彫刻師でした。また、子孫の多くも各地の寺社や祭礼の山車に、彫刻を残しています。まさに、アルティザンの一族ですね。
彫刻群が躍動する葺不合(ふきあえず)神社
まずは我孫子の葺不合神社へ。JR成田線の新木駅からP.2地図のルートを歩くと10~15分でたどり着けます。鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと、神武天皇の父神)が御祭神で、特に1897(明治30)年に建立された本殿の、数々の藤太郎彫刻は圧巻です。
この本殿は、先に述べておきますが、文化財保護のため一定以上は近づけません。上の写真の背景からわかるように、覆屋で囲われています。撮影する際も節度をもって、スマホか小さなカメラだけ格子の内側に挿し入れ、撮る感じになります。
ここで後藤藤太郎について、もう少し詳しく……生まれ育ったのは現在の茨城県龍ケ崎市の南西部、北方(きたかた)です。「一重」の名も時に用い、また本来の姓は佐藤だったようです。江戸時代後期から明治期にかけて隆盛を誇った彫刻師の一派「後藤家」がおそらく師匠筋で、藤太郎も父の勘治も腕が確かなゆえに、その姓を受け継いだと考えられます。また晩年には、後にアバンギャルドな造形美術家となる池田遊子を指導しています。
地形も由来も複雑!?
参詣のはじめは国道356号に面した一の鳥居です(彫刻鑑賞のお楽しみは後ほど)。車に気をつけつつ一礼。端の方をくぐって少し歩くと下り階段があり、かつて弁天池があった窪地へと降り立ちます。さらに進んだ二の鳥居の先は、今度は拝殿へ上る階段。実に起伏に富んでいますね。
拝殿は、「沖田の弁天様」として賑わったり厳島神社と以前呼ばれたり、幾層もの歴史を重ねてきた建物のようです。内陣正面には天女の彩色画が掲げられています。そして拝殿の左右にある登り道のどちらを行っても、一段小高い地に立つ、お目当ての本殿に到達!
英傑たちの名場面に加え当時の最先端の題材も
藤太郎の魂が、きっとこの本殿に刻まれているのでしょう。向拝柱には昇り龍と降り龍が巻きつき、胴羽目と称される壁板には日本神話の各シーンが展開。さらに屋根直下から縁下に至るまで精緻な彫刻が埋め尽くし、息をのみます。
興味深いことに、脇障子に彫られているのは明治の軍人とのこと。1895年に終結した日清戦争など、時代の流れが投影されていそうですね。
いざ、大曽根八幡神社へ
埼玉の南東部、八潮でも、藤太郎の知られざる傑作群と出会えます。車か徒歩(八潮駅より神社まで20分強)で赴くのでなければ、東武バス「大曽根」停留所が第一目標。JR/千代田線・綾瀬駅(西口)から八潮駅北口行きバスに20分弱乗車、またはつくばエクスプレス・八潮駅(北口)から綾瀬駅行きに10分弱乗れば着きますが、本数は多くなくご注意を。大曽根停留所・神社間は、歩いて数分です。
誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇)を御祭神とするこの大曽根八幡神社でも、多彩な彫刻制作が匠の手で!1895(明治28)年に拝殿と奥の本殿が改築された折の、藤太郎の仕事です。こちらの本殿も、葺不合神社と同様に覆屋で覆われ十分に近づけません。撮影等には配慮が必要です。
細部まで技巧が尽くされ神話や伝説に命が宿る
筆者が拝殿に正対した時点で、早くも見事な彫刻たちに迎えられました。詣でた後、じっくり満喫。左上を見上げると、獅子が軽やかに玉と遊んでいます。玉部分の彫りは籠彫(かごぼり)と言うんでしょうか?雄渾な立体感と繊細さが同居。驚嘆します。
続いて本殿へ。この大曽根八幡神社と葺不合神社の後藤藤太郎による彫刻は、30歳代の力満ちる時期、2年ばかりの間隔で創造されたものです。共通点は少なくなく、本殿3面の胴羽目の題材だって「神武東征」「天岩戸」「八岐大蛇」と一致します。でも、そこはやはりアルティザン!それぞれ違った表現が工夫され、必見です。
独創性の洪水!八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
中でも凄いのが、須佐之男命(すさのおのみこと)の八岐大蛇退治。成敗されるオロチが、こちらの神社では龍の姿をしていません。まさに多頭の蛇……禍々しく魅力的です。寺社彫刻に詳しい方のお話でも、大蛇のオロチは他に思い当たらないそうです。
藤太郎に関する資料はわずかで、本作を彫り上げた意図も不明です。でも筆者は「誰も生み出したことのない八岐大蛇を彫ってやる」との制作者の心意気を、鮮烈に感じました。彼の生の痕跡は薄れていても、作品は静かに熱く語ってくれます。力溢れる名匠は案外、「匿名」に近づくことなど気にも留めていないのかもしれません。
本記事で紹介した神社の名を、「彫刻」の語と合わせてインターネット検索すれば、面白い訪問記等々がたくさんヒット。藤太郎彫刻は決して「埋もれ」てなどいないのですね。 (さっくん)
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