2024年12月6日 第723号
大井川鐵道でトーマス号が走り始めたり、東武鉄道でSLが復活したりするなど、近年、SL人気が加速しています。約五十年前に日本全国の鉄路から一旦は消えたSLですが、力強く駆け抜ける姿が人気を博し、全国各地で観光列車として復活を遂げているのです。そこで今回は、松戸市近郊の公園で静かに余生を送っているSL達を紹介します。
1、ユーカリ交通公園(松戸市)
子どもたちが楽しく交通ルールを学べるユーカリ交通公園には、D51型405号機が展示されています。ユーカリ交通公園にはSLだけでなく、消防車や救急車、ヘリコプターも展示されています。D51型は主に貨物列車用の機関車として活躍し、国産のSLで最も多く製造されました。その数なんと千百十五両!これほど多く製造された機関車はありません。
このD51型405号機は昭和十五年に製造され、新潟県や長野県、島根県の路線で活躍しました。冬季は雪が降り積もる地域で活躍したため、ここユーカリ交通公園に展示されているSLには、雪を跳ね飛ばす「雪かき」が設置されています。また、トンネルが多い路線を走行したため、運転席に煙が入り込まないようにする「集煙装置」も取り付けてあります。引退するまでに走行した距離は約二百二十万キロメートルで、地球五十五周分に相当します。ユーカリ交通公園のSLは運転室の中にも入ることができ、数多くの計器類やレバー類を見ることができます。
2、鎌ケ谷市市制記念公園(鎌ケ谷市)
新鎌ケ谷駅から徒歩約十五分の場所に位置する鎌ケ谷市市制記念公園には、ユーカリ交通公園と同じ型のD51型385号機が展示されています。園内にはSLの他にも飛行機が展示され、子ども向けのバッテリーカーも設置されており、家族連れで賑わっています。このD51型385号機は、昭和十四年に製造され、大阪近郊の路線や常磐線などで活躍しました。百三十七万キロメートル(地球三十四周分)以上走行したこのSLですが、実は正確な走行距離は分かっていません。なんと、昭和二十一年に吹田機関区で発生した火災で記録簿を消失してしまったのです。ユーカリ交通公園に保存されているSLはおよそ地球五十五週分を走行しているので、このSLも本当はそのくらい走っていたのかもしれませんね。
3、流山市総合運動公園(流山市)
流山セントラルパーク駅から徒歩五分ほどの流山市総合運動公園には先の二つの公園で展示されていたSLと同じ型のD51型14号機が展示されています。流山市総合運動公園にはSLだけでなく、流山鉄道(現・流鉄流山線)で昭和初期から三十年代にかけて活躍したガソリンカーのキハ31も保存されています。自動車はガソリン車が主流ですが、鉄道はディーゼル車が主流なので、キハ31はとてもレアな存在です。
話はSLに戻りますが、このD51型14号機は14号機を名乗っていますが、D51型の事実上の初号機。なぜなら、D51型は製造するときにいくつかの工場に分けて製造しており、汽車製造で造られたこの14号機は川崎車輌で造られた1号機よりも約一ヶ月早く完成したからです。ちなみにD51型1号機は京都鉄道博物館で保存されています。記者はこの14号機を取材するまで、京都の1号機が初号機と信じていました。京都よりも自宅から近い場所にD51型の真の初号機がいたなんて驚きです。
D51型14号機は昭和十一年に製造され、大阪近郊の路線や北海道内の路線で活躍しました。北海道も豪雪地帯であるため、ユーカリ交通公園のSLと同じく「雪かき」が取り付けられています。引退するまでに走行した距離は約二百三十五万キロメートルで、地球約五十九周分に相当します。
ここ流山市総合運動公園のD51型14号機はボランティアの方々が集まって整備をしたり、イベントを開催したりしているそうです。イベントでは車内に入ることができるので、記者もイベント開催時に再訪したいと思います。
4、船橋市郷土資料館(船橋市)
習志野駅から徒歩十分ほどの場所に位置する船橋市郷土資料館にはD51型125号機が展示されています。幼稚園や保育園の集合写真の撮影場所に選ばれるくらい、子どもたちから大人気のこのD51型125号機は、昭和十三年に製造されました。現役時代は首都圏や名古屋周辺の路線で活躍し、約二百四十七万キロメートル、地球約六十二周分の距離を走りました。今回紹介するSLの中で、記録上最も長距離を走破したSLです。このD51型125号機も運転室に入ることができます。また、運転室の中に記念スタンプ台とSLの解説シートが置かれており、記念に押して持ち帰ることができます。記者もスタンプを押してみました。SLの顔が斜め前からデザインされており、とても力強くてかっこいいですね。
5、津田沼一丁目公園(習志野市)
ここまで紹介した四つの公園のSLはD51型でしたが、津田沼一丁目公園に展示されているK2形機関車134号はひと味違った経歴を持っています。国鉄のSLではなく、津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第二連隊が使用していたSLで、陸軍演習線を走行していました。ちなみに陸軍演習線の跡地は現在、新京成線の線路として活用されています。軍隊のSLということで機密事項が多かったためか、いつ造られて、どのくらいの距離を走行していたのか、というような簡単な情報もほとんどありません。一体、どういう目的で造られ、走っていたのでしょうか。謎多きSLの一つです。
東武鉄道でSL大樹として活躍するC11型123号機のように、最近でも、ひっそりと置かれていたSLが復元作業の末、鉄路に帰ってきています。今回紹介したSLの中でも、復元作業を施して鉄路に復帰するSLは現れるのでしょうか。 (ベース)
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