鰭ヶ崎三本松古墳の碑(流山市)
2022年3月25日号 第658号
流鉄流山線の鰭ヶ崎駅で下車し、流山駅方面に向かって右手に小高い丘があります。「鰭ヶ崎三本松古塚の碑」はこの丘のてっぺんにあります。屋根のついた透明のケースに大事に収められている碑。実は元々この場所にあったのではなく、移設されたもの。元は数十メートル離れた、小さな祠の脇にありました。
流山市最大の前方後円墳である鰭ヶ崎三本松古墳は、六世紀中葉の築造。ところがこの碑が建てられたのは江戸時代後期の文政十一年(一八二八)。なぜこの時に建立することになったのでしょうか。それはこの碑を建てた鰭ヶ崎村の名主、渡辺睦の思いが込められていたのです。
睦の祖父と父は、天明の大飢饉の折に古塚から宝器を掘り出し、食べ物に変えようとした村人を止め、私財を投じて多くの人を救いました。碑にはその功績と、二度と盗掘などないよう霊獣白狐を使わせた神意に従い古塚を発掘させないよう守っていくことが記されています。移設の際に石碑表面の劣化を防ぐ保存処理が施されましたが、古墳自体は区画整理事業により発掘調査後に消滅してしまいました。
近所の人の話によると、石碑の所に松が三本あったそうです。数年前までは草木に覆われ、こんもりとした小山だった古墳は、今は広場に。石碑周辺も整備され、眺めの良い公園となっています。
(ミイ)
※参考資料/流山市HP
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