特集記事

松戸の地から甲子園の地へ

~祝・専修大学松戸高等学校センバツ出場~

2021年4月9日 第635号

3月19日に開幕した第93回選抜高等学校野球大会に、我が松戸にある専修大学松戸高等学校野球部が出場しました。同校野球部が甲子園に出場するのは2015年の夏の大会以来2度目です。

 選抜高等学校野球大会(以後、センバツ)が3月19日に開幕し、25日(24日予定でしたが雨のため順延)に1回戦を迎えた専修大学松戸高等学校野球部(以後、専松)。出場正式決定という吉報を受けたのは、1月29日でした。
 高校野球連盟からの電話連絡を徳山斉校長(当時)が受け、野球部員に直接報告すべく練習グラウンドまで足を運びます。その一報に選手たちは笑顔。が、このコロナ禍において声を発して喜びを表現できず、内に込めての大きな拍手でした。
 各県のトーナメントを勝ち進んだ優勝校が甲子園で戦える夏の大会(全国高等学校野球選手権大会)に対し、春のセンバツは、夏の大会以後11月30日までの大会の結果や試合内容等を加味して“選抜”されます。専松は秋季関東地区高等学校野球大会4強入りを果たしました。

徳山校長(当時)が出場決定の電話連絡を受ける
歓喜の声の代わりにキャップを投げる選手達

■専松は松戸市出身者が多い

 野球部は1959年に創立し、甲子園へ率いた学校は4校目の持丸修一監督のもと、部員は34名(当時)います。寮はなく、松戸市出身の選手と通える範囲の近隣の選手のみなので、まさに地元で培った野球がベースにあるチームと言えます。ちなみに松戸市出身のプロ野球選手と言えば楽天の涌井秀章選手などがいますが、専松は日本ハムの上沢直之選手、ソフトバンクの高橋礼選手、ヤクルトの渡邊大樹選手、千葉ロッテの原嵩選手、横山陸人選手を輩出しています。さらに、上沢選手と高橋選手は侍ジャパンに選出経験があります。

専修大学松戸高等学校野球部員

■コロナ対策の中で

 2020年はご存知の通り、春も夏も大会は中止となりました。高校野球界だけでなく、あらゆる学校の部活、団体や協会等も涙を飲みました。
 2015年の夏の大会の時には、松戸駅西口デッキにて壮行会が開催されました。保護者や学校関係者、OBよりも、地域の野球少年たちや一般の方の姿が多かった記憶があります。
 しかし今回は、校内のみで、一連の行事が行われました。選抜旗授与式の後に壮行会。チアリーディング部による応援パフォーマンスなどの様子を、生徒は各教室でオンライン配信にて見守ったそうです。
 選手たちは自粛で思うように野球ができなかった期間を経て、ここまできました。あらゆる状況に感謝しながら練習を積み、甲子園への切符を手にしています。前向きです。
 2月23日のオンライン組み合わせ抽選では主将の石井詠己選手がくじを引き、中京大中京高等学校との対戦が決まりました。「応援してくれる人に感謝の気持ちを忘れずに、持っている力を出し切りたい」。

選抜旗
壮行会にて選抜旗授与
オンライン抽選会

3月19日、選手たちは松戸を出発し、目的の地甲子園では開会式が行われました。入場行進は各校が事前に映像を撮って流す形式。プラカードを持ったのは、秋の大会でレギュラーだった2年生(当時)の平田未来選手がつとめました。ある日の練習中に右手中指を骨折してしまい、全治5ヵ月。手元に甲子園への切符があるのに立てない悔しい思い。けれども仲間の気遣いに支えられ“自分にできること”でチームに貢献しようと考えたそうです。そして持丸監督から行進のプラカード役を担うよう提案されました。
 応援席は密を避けるため、各校1000席。前大会の半分も満たない席数に縮小されました。25日前日の夜、9時からの第一試合に間に合わせるため、応援団はバスを連なり、感染対策を十分に、松戸を出発しました。
 試合中、応援の掛け声やブラスバンドの生演奏は禁止でしたが、事前録音した演奏を流すことが可能となっていました。専松は事前録音と現地での太鼓を使った応援団+チアの、人数制限ギリギリの大応援団でした。
 そう、異例の開催ではありますが「例年に近い内容や環境で」という気持ちで、多方面の方たちが考慮しています。

バスに乗り、いざ甲子園へ
試合直前、整列に向かう選手達
事前録音と現地での太鼓を使った応援

■そして初戦

 25日の第一試合は1回戦最後の試合でした。1回表、専松の攻撃。2番・大森選手がヒットを打ち塁に出たあと、盗塁に成功。その裏、ピッチャーの深沢選手は三振・ショートゴロ・ファーストゴロと3人で抑えました。2回表には8番・加藤選手が3ベースヒットを打ち、その裏にはピンチをダブルプレーで切り抜けました。

ピッチャー


 5回までに、ピッチャーの球数は中京大の畔柳選手の72球に対し、深沢選手は55球。深沢選手は、キレがあって伸びもあるボールに緩急をつけてのピッチングを見せました。「冬に、変化球をインコースに投げる練習を繰り返ししていた」のだそうです。
 6回表は5番・奥田選手がセンター前ヒットを打ち、続いて6番山口選手がライトへヒットを打ち、その間奥田選手が3塁へ。このチャンスをものにできれば…。
 7回裏に相手にレフト前に打球を運ばれてしまいます。レフトの吉岡選手が、懸命にダイブするも、及ばず。そのボールが後方に転がってしまいランニングホームラン。2点を先取されました。
 専松もすぐ気持ちを切り替え、8回裏はファインプレーと三振ですぐさま抑え9回へ。深沢選手の代打を任された横山選手が2アウトからのライト前ヒット! 希望が見えた一打でした。その後、ランナーは出ずに試合終了。ただ応援側として「次!」と思える試合でした。「相手が強いのはわかっていたけれど、手に負えない試合展開ではなかった。やっぱり地元の高校に勝ってほしかった」。これは応援する側の本音です。

ヒット数は上だったが、惜しくも敗戦に
試合終了

■試合後、そして…

 「ワンチャンスで負け、ワンチャンスで打てなかったですね。ただ、夏に向けて大変ためになる試合でした。千葉大会で優勝して、またここに戻ってきたいと思います」とは試合後の持丸監督の談話です。
 野球部員たちは、3月31日から練習を再開しています。そして、春季大会、夏の高等学校野球選手権大会に向けて、走り続けます。
 センバツが始まる前、監督はこう話していました。「うちは強いチームではなく弱いチーム。普通の高校生。でもね、野球やっていてよかったって言っていて、さらに不平不満がなくて、何よりやる気があるんです。子供たちには、夏に向けてためになる試合だということ、この大会は楽しもう!ということを話しました」。
 このセンバツで得たものは大きいはずです。これからも夏に向かって頑張っていってください!応援しています!
(みじゅ)

悔しい思いを胸に、中京大中京高校の校歌を聞く
試合後、応援席へ。感謝を込めて

●写真提供
 専修大学松戸高等学校 宮尾明日香さん

【応援していました!】 

松戸市役所
 市役所の駐車場から見える位置と、1階新館に行く通路&階段に幕を掲示してくれていました

出場決定後すぐ掲示してくれた

JR北松戸駅

新京成松戸新田駅
専松の最寄り駅では、応援の幕を掲示してくれていました。生徒はこの駅を使用するので、登校・下校時に励みになったのではないでしょうか。

新京成松戸新田駅より

某店舗
お店の外からも見えるようにパソコンで応援メッセージを作成・貼付してくれていました!

生徒さんたちは場所がわかるかな?

いなげや松戸新田店
 店長の水島さんからのメッセージ。「この悔しさをバネに、夏に向けて頑張ってください! 心ひとつに、為せば成る為さねば成らぬ何事も」

サミット松戸新田店
 メッセージボードを作成してくれていた店長の杉浦さんは、なんと専松出身。「母校を応援しています! 全国に校歌を響かせてください。一緒に歌います!」

運動公園より

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