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ふたりの円谷〈つぶらや〉~故郷に残る栄光の足跡①~

2021年6月25日 第640号

 ある年齢以上の方にとって、円谷(つぶらや)といえばまずこの2人のことが脳裏をよぎることでしょう。1人は前回の東京オリンピックで陸上競技唯一のメダルを獲得したマラソンランナー円谷幸吉であり、もう1人は、日本映画で特殊撮影の第一人者としての地位を築き、ウルトラマンの生みの親でもある円谷英二です。実はこの2人、偶然にも福島県須賀川市の生まれであることはあまり知られていません。今回は、親戚同士でもなく県内の苗字ランキングでも100位以下の珍しいお名前をもつ2人の偉業を振り返り、栄光の遺産がいまなお、故郷・須賀川の町に生き続けていることを2回にわたってご紹介したいと思います。

円谷幸吉編

 

■後ろは振り向かない

いまでも鮮明に覚えています。1964年当時、小5の筆者にとって初めてのマラソン中継を白黒テレビの前に釘付けになって観ていたことを…。 レースは連覇をかけたアべべ(エチオピア)が余裕の走りでゴールテープを切った(2:12:11世界新)あと、最初に競技場に姿を見せたのは円谷でした。競技場を埋め尽くした大観衆は総立ち。拍手と大歓声の嵐の中、実況を伝えるアナウンサーの声も心なしか上ずっていました。しかし、すぐ後ろに迫るヒートリー(英国)との差はごくわずか。円谷の上体は揺れ、眉間にしわを寄せていかにも苦しそうな表情。ついにバックストレートから第3コーナーで一気に円谷を抜き去るヒートリー。もはや、円谷に劣勢を挽回する余力は残されていませんでした。それでも、円谷は幼い頃からの父親の教えを頑なに守りぬき、一度も後ろを振り返ることなく見事3着でゴールイン(2:16:22)。2位ヒートリーとの差はわずか3秒でした。最後の力を振り絞って走りきった円谷への喝采と感動の拍手はしばらく鳴り止むことがありませんでした。
 還暦を過ぎた今でも、あの時放映された劇的な光景は、けっして色褪せることがありません。

イメージフォト
メダルを胸に微笑む円谷

■栄光と苦悩の狭間で

表彰式で見せた円谷の顔はとても穏やかでした。笑みを浮かべ、右手を高々と挙げて観衆の声援に応える円谷。電光掲示板に浮かび上がったTUBURAYA JPNの文字。陸上競技の最終種目でメインスタジアムに唯一の日の丸が揚がりました。有終の美を飾った彼への賞賛と興奮の余韻は、3日後に行われた参加国入り乱れての閉会式の行進で最高潮に達したことを覚えています。 
 歴史的な偉業は、時として周囲からの過酷な期待にアスリートを苦悩と呪縛に陥れることがあります。大きな期待が寄せられていた君原が8位に終わり、逆に円谷がまさかの銅メダル。この時を境に陸上競技界はもとより、日本中から脚光を浴びる存在になっ たのです。

すぐ後ろに迫るヒートリー(英国)
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遺書の1枚目

しかし、その後の円谷は椎間板ヘルニアなどの持病やケガから記録が思うように伸びないばかりか、信頼していたコーチとの別れや婚約者との破談…、失意の中、1968年1月8日に自衛隊宿舎で自ら命を絶ったのです。享年27歳。もちろん、真実は知る由もありません。彼が遺した両親や兄弟、甥や姪たちに綴ったありきたりな感謝の言葉の繰り返しに、日本中が深い悲しみに包まれました。ノーベル賞作家である文豪・川端康成はこの遺書を「千万言も尽くせぬ哀切」と表現していました。
以下は、遺書の抜粋です。
 父上様、母上様 
三日とろろ(※)美味しゅうございました
 干し柿、もちも美味しゅうございました
   (中略)
 幸吉はもうすっかり疲れきってしまって走れません
 幸吉は父上様 母上様の側で暮らしとうございました

 筆者の中では、銅メダルを獲ったことや自死したことよりも、不思議な韻を踏んだ遺書の中にこそ円谷の精神性が表れているという意味で、いつまでも記憶の片隅にとどまっているような気がします。(※三日とろろ=年末年始のご馳走で疲れた胃を休めるため、正月3日にとろろ汁を食べる習慣が南東北や関東甲信越地方などに残る)。

■メモリアルマラソン

メモリアルマラソン大会(赤いウエアは君原健二)

 須賀川市内の十念寺に眠る円谷の墓には、一緒にレースを戦った君原健二が毎年、墓参に訪れ、缶ビールを半分飲んだあと墓前に献げるそうです。その君原は円谷が亡くなった年、メキシコ大会では優勝こそ逃したものの見事に銀メダルを獲得、東京大会での雪辱を果たしました。その時、君原はこうつぶやいたそうです。「円谷のために走った」と…。
 一方、あの時、ゴール前の劇的な追い上げで円谷を抜き去り2位に入ったヒートリー。レースから半世紀経過した2014年には英国からはるばる須賀川市
を訪れ、幸吉の兄・喜久造さんと対面したことが話題になりました。その彼も約2年前に85歳の生涯を閉じ、レースのメダリスト3人はすべてこの世を去りました。
 円谷の偉業は、1983年から始まった須賀川市でのメモリアルマラソンの開催に受け継がれ、さらに、遺族から市に寄贈された開会式で着用した真っ赤なブレザー、メダル、レース時に使用したウエアやシューズ等が展示されたメモリアルホールの誕生によって後世に伝えられることになったのです。
(ルビイ)

甲州街道を走ったシューズ
メモリアルホール入口

▶写真提供/須賀川市
◎参考資料/須賀川市HP(公財)、須賀川市スポーツ振興協会HP

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