宝篋印塔(松戸市下矢切)
2023年1月13号 第677号
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は見た目に特徴のある仏塔です。当初は、「宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)」と呼ばれる、四十句の梵字(ぼんじ)による仏説を納めるための塔として建てられていましたが、のちにその特徴のみが受け継がれて、各地で供養塔や墓碑塔などとして造られるようになりました。写真の宝篋印塔は、野間重成の墓碑塔として建てられたもののようです。
野間金三郎重成は、徳川家臣として、「関ケ原の合戦」や「大坂の陣」などに参戦しました。それらの功によって、上矢切村と下矢切村で合わせて三百石を与えられました。すでに武蔵国六万部村(現在の埼玉県久喜市)に二百石の所領があったので、計五百石の旗本となりました。子孫は代々「野間様」と呼ばれ、下矢切で暮らしたそうですが、明治維新の際に帰農したと言われます。
宝篋印塔は、このように高名な墓所でよく見られます。戦国時代に松戸を治めていた高城氏代々の墓所(広徳寺)にも同様の宝篋印塔が建てられています。
宝篋印塔は、方形の塔身と、その上の階段状の蓋、そこから高く伸びる相輪に特徴があります。先端は宝珠です。 (かつ)
※参考図書/「わがまちブック 松戸3」「松戸風土記」「松戸史談」「東葛の中世城郭」
◎所在地/松戸市下矢切1146
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