特集記事

隅田川

2024年8月23日 第716号

 1964年まで荒川の本流だった隅田川。都心23区東部を蛇行して流れる河川には、新旧さまざまな橋が架けられています。今回は、東京湾河口から両国まで、隅田川の橋梁めぐりをご紹介します!

 北千住駅から東京メトロ日比谷線に乗り、築地駅で下車。隅田川に向かう前に訪れたかったのが、「築地本願寺」です。初めて本堂を見た人は「日本の寺院なの?」と疑いますよね。古代インド様式をモチーフにしたインパクトある本堂は、鉄筋コンクリート造りで、1934年に建てられました。社務所で御朱印をいただこうとしたら、浄土真宗はないんですね。「御朱印」は、写経して寺社に納経した証として授与されるいわば「受領印」。浄土真宗では、南無阿弥陀仏の念仏をとなえるのみで写経はしないんだそうです。その代わり、本堂にスタンプが置かれていましたよ。

インパクトある本堂「築地本願寺」

 寺院を出て、晴海通りを豊洲方面に進むと、すぐに「勝鬨橋」に到着します。大きな船舶が通るために橋げたが跳ね上がる可動橋ですが、1980年に機械部の送電はストップ。可動部もロックされています。実は記者、2014年にウォッチングで取材したんですね!国の重要文化財に指定され、2018年に「築地大橋」が完成するまでは、隅田川の最下流に架かる橋でした。

元可動橋「勝鬨橋」
勝鬨橋を下から眺める!

 勝鬨橋を渡り、隅田川のほとりにある遊歩道を通って築地大橋に向かって歩きます。取材日は猛暑でしたが、ランニングやウォーキングを楽しむが人が結構いてビックリ!河口近くだけに川幅は広く、対岸は、かつての築地市場があった場所。今は再開発工事が行われているようです。勝鬨橋から10分も掛からず築地大橋の手前まで来たのですが、遊歩道は工事中で行き止まり。仕方なく遠目に眺めます。隅田川に架かる橋の中では最も新しく、デザインコンセプトは、「22世紀にも建設意思が伝わる橋」。「通行時の圧迫感がなく、景観的にも周囲にマッチする」という理由で、橋梁・鋼構造工学に関する優秀な業績に対して授与される学会賞「土木学会田中賞」を受賞しています。名称の由来は、関東大震災後、首都の復興に際し、帝都復興院初代橋梁課長として、この後に訪れる永代橋や清洲橋など数々の名橋を生み出した、田中豊博士にちなんでいます。再び遊歩道を歩いて勝鬨橋まで戻りました。巨大な橋の下を眺めるって新鮮ですよね!この後は、上流へ。今回のゴールは両国橋です!

隅田川に架かる橋の中では最も新しい「築地大橋」
シンプルな「佃大橋」

 遊歩道を歩いていると、水上バスがやってきました。この後、何度も行き来するのを見かけますが、船からの眺めも良さそうですね!さて、「佃大橋」に到着しました。1964年に竣工したということは……そう、東京オリンピック開催のために架けられた橋です。シンプルな橋ゆえにデザイン云々より急ぎ重視で造ったのかしら?橋を通過すると、右手に鳥居を発見!鳥居を潜って、路地の突き当りにあるのが「住吉神社」です。あらためて取材の無事を祈願し、御朱印をいただきました。隅田川に戻る途中、民家の玄関前にある井戸を発見!現役っぽいんですよね。いつから使っているんでしょうか?

佃の住吉神社

 再び隅田川沿いを歩き、住吉小橋手前で見えるのが、「石川島灯台のモニュメント(実はトイレです!)」。橋の先は「佃公園」で、江戸時代には、無宿人や刑期を終えた浮浪人などに仕事を覚えさせて社会復帰させる「人足寄場」があった場所です。灯台もそんな人たちによって建てられたそうですよ。公園を抜ければ「中央大橋」に到着します。実は隅田川、フランスのセーヌ川と友好河川になっていて、中央大橋の架橋の際、フランスのデザイン会社に設計を依頼したそうです。だから妙に芸術的な形なんですね。でも、記者が印象に残ったのは、太いワイヤーと、歩道が広いこと(笑)。

フランスのデザイン会社が設計「中央大橋」

 記者は「えいだい」橋と長年勘違いしていましたが「えいたい」橋が正しい名称。現在の橋は、関東大震災の復興事業として架橋され、国の重要文化財!「日本百名橋」にも選ばれ、あの田中博士がかかわった名橋です。当時は、隅田川の最下流で、「帝都東京の門」と言われ、力強く男性的な曲線美が魅力であるドイツライン川のレマーゲン鉄道橋をモデルにしたそうです。また江戸時代、隅田川に掛けられた5つの橋の1つ(4番目)で、赤穂浪士が討ち入り後、泉岳寺に向かう際に渡ったのは、この橋でした。明治時代に日本初の鉄橋として造られたことでも有名です。

「帝都東京の門」と言われた「永代橋」

 さあどんどん進みましょう!次は、背が高い橋ですね。そう「隅田川大橋」は、上段が首都高速9号線、下段が都道475号線になっていて、隅田川に架かる唯一の2層式の橋です。

隅田川に架かる唯一の2層式の橋「隅田川大橋」

 関東大震災の復興事業として永代橋とともに田中博士がかかわった名橋で、国の重要文化財。「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも称された優美なデザインが特長。ドイツケルン市にあったヒンデンブルク橋をモデルにしたそうです。架橋当時、深川区清住町と日本橋区中洲町を結ぶ橋梁なので、各町名の一字をとって清洲橋と名付けられました。

「震災復興の華」とも称された「清洲橋」

 モダンでハイカラなデザインだった前の橋は、「貴重な建築物」として、愛知県犬山市の「博物館明治村」に部分的に移築保存されています。2004年には、「明治村隅田川新大橋」の名称で、国の登録有形文化財に指定。この橋の歴史も古く、架橋されたのが1693年!(江戸時代、隅田川に掛けられた3番目の橋)。そしてゴッホも模写した歌川広重による江戸名所百景の1枚、「大はしあたけの夕立」でも知られていますよね!

広重の「大はしあたけの夕立」はここ! ゴッホも模写した「新大橋」!

 両国ジャンクションを含んだ首都高速道路の橋で、徒歩では通行できません。首都高速道路のジャンクションは、都心の限られた土地に造られ、複雑な立体構造をしていますよね。「通るのは苦手……」と言う方が、多いのでは?実はこの橋、築地大橋と同じく「土木学会田中賞」を受賞しています。何がすごいのかは、詳しく説明しているウエブサイトがありますので、ぜひご覧ください(記者では、説明ができません……)。そして、松戸市内にもこの賞を受賞した橋が2カ所あるんですよ。

「土木学会田中賞」を受賞したすごい橋!

 今回のゴール、両国橋に到着!歴史ある橋で、隅田川では千住大橋に続いて2番目に架橋されました。開通当初は、武蔵国と下総国の国境にあったので、「大橋」の名称より「両国橋」の俗称で定着(1686年、国境は変更)。新大橋ができると、俗称が正式名称になりました。現在の橋は「日本百名橋」の1つに選定されています。

江戸時代、2番目に架橋! 歴史ある「両国橋」

 歩いてみた感想ですが、築地大橋から両国橋はそこそこの距離。鈍足な記者で、約2時間。河川沿いには、遊歩道が整備されて、迷うことはありません。注意すべきは、トイレは数カ所あるものの、自動販売機がないこと!なので、夏場は飲料を多めに用意するか、河川から離れて自動販売機かコンビニを探す必要があります。東京都心なので、探すには苦労しないと思いますが、無理をせずに歩いてください! (パイン)

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