特集記事

埼玉にある東京駅 レンガとネギの町・深谷

2020年11月20日 第626号

読者の皆さんも一面の駅舎の写真をパッと見た瞬間には、レンガ造りで有名な東京駅を思い浮かべるに違いありません。ところがこの駅、東京駅ではないのです。埼玉県の北西部に位置する深谷駅だったのです。どうして、ここまで東京駅に似せて駅舎が建て替えられたのか…。背景を探るとその経緯は大正時代にまでさかのぼります。

深谷駅正面玄関
下り線ホームから
深谷駅北口

■ここ東京駅じゃないの?

これまでにもテレビや新聞などの媒体で取り上げられていたかもしれませんが、筆者はつい最近まで東京駅にそっくりなこの駅の存在を知りませんでした。JR高崎線深谷駅。東京から約一時間半、大宮からでも小一時間の乗車時間です。電車の扉が開き早速ホームに降り立ちます。上り階段に向かうべく振り返ると…、見えました。東京駅にそっくりな駅舎の一部が。
この駅は線路を跨いで造られた橋上駅だったのです。期待がふくらみます。改札口から表に出ることにします。まずは正面玄関から駅北口に降りてみました。駅舎の全容が視界に飛び込んできました。「これ、東京駅じゃなくて何なの?」。呆れるくらい酷似しています。もちろん、左右に広がりがある本物の東京駅にはスケールでは及びませんが、駅舎のデザインなどはまさに東京駅のミニチュア版といった趣きです。
 平日にもかかわらず、駅舎をカメラに収めている方を二、三人見かけました。そして、北口ロータリーから近隣の建物に目をやると、駅舎に似たレンガ色の建物がちらほら。“レンガの町”ならではの光景です。

深谷駅南口
駅周辺の建物

■ミニ東京駅誕生の背景

 深谷駅が改築されたのは今から二十四年前の一九九六年。改装された現在の駅舎は、東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにしたもので、まさにミニ東京駅。駅のコンコースにあるドーム状の天井まで東京駅にそっくりな造りなのです。これは、大正時代に竣工した東京駅の丸の内側駅舎が建造された際、深谷駅の北部にあった日本煉瓦製造で造られたレンガが約七十キロ離れた東京駅まで運ばれて使用されたことに因んでいます。その数、約七〇〇万個という膨大な数のレンガが使われたようです。ただ、深谷駅の場合は東京駅と違い本物のレンガではなく、レンガタイルを貼って造られていますが、見た目では判別できません。鉄道マニアの間でも人気は高く、ライトアップされた夜間にはレンガ色の景観が夜空にひときわ鮮やかに浮かび上がるそうです。

■日本煉瓦製造の盛衰

 深谷駅から北へ約四キロ離れた上敷免(じょうしきめん)という地に日本煉瓦製造の工場は建設されました。会社設立は一八八七(明治20)年。欧米流の近代建築が増加し、官庁や鉄道などの整備を急いでいた明治政府の意向に沿って設立の翌年から操業を開始したそうです。ここで製造されたレンガは、東京駅のほかにも日本銀行、赤坂離宮、旧警視庁、東京大学など数多くの建造物に使用され、日本の近代化に寄与しました。
 建築材料としてのレンガの需要が急増する中、生産量を確保するために導入されたのがホフマン輪窯と呼ばれる窯でした。複数の焼成室を輪状(楕円)に配置して順次絶え間なく生産する方式で、これによって生産能力が格段に上がったといわれています。現存する六号窯が建造されたのは生産開始から十八年後だったそうです。
 東京方面へのレンガの輸送は工場の北側を流れる利根川を利用した船舶輸送に依存していたようですが、輸送効率が悪いため創業から八年後の一八九五年、工場から深谷駅までの約四キロを結ぶ日本初の専用鉄道が敷設され、安定供給が実現することになりました。

ホフマン輪窯(提供:歩鉄の達人)
専用線跡の遊歩道(提供:歩鉄の達人)

しかし、時代とともにレンガ需要が減少すると同時に、安価な外国産のレンガにも押され、二〇〇六(平成18)年、約一二〇年の歴史に幕を下ろすことになりました。現在では工場の一部であった「ホフマン輪窯六号窯」、「旧事務所」、「旧変電室」、専用線の途中にあった「備前渠鉄橋」が国の重要文化財に指定され、いずれも深谷市に寄贈されています。また、専用線跡地は現在では遊歩道に生まれ変わっています。(※ホフマン輪窯は現在改修中のため見学はできません。再開は二〇二四年の予定)

■工場設立に関わった 渋沢栄一

駅前に立つ渋沢栄一像
北口ロータリーから

 そして、この工場の設立に関わった人物、さらには大量輸送、安定供給のために専用線の敷設を実現した人物こそ、実は深谷出身の渋沢栄一でした。「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一はこの工場の他にも第一国立銀行(現・みずほ銀行)、東京瓦斯、王子製紙、帝国ホテルなど、五〇〇以上にも及ぶ企業の設立にかかわっていたといわれています。しかし、故郷につくった企業は日本煉瓦製造ただ1社。ドイツからレンガ製造技師のN・チーゼを招いてホフマン輪窯
を造ったことが事業を成功に導いたといえますが、工場の設計を東京駅の設計者である辰野金吾に任せたという点にも工場設立への意気込みが伝わってきます。

■一万円札の新たな顔に

日本煉瓦製造の施設管理や保存には多額の費用負担が発生するはずです。譲り受けた市側も当初は困惑したと推察されますが、日本近代産業の指導者であり、地元深谷の偉大な英雄でもある渋沢栄一の功績を未来に受け継いでいくため、「渋沢栄一記念館」を創設し、市をあげて取り組んでいる様子が伺えます。それにしても、深谷駅前はもとより、東京日本橋の常磐橋公園など、至るところに渋沢栄一の像が建てられていることをみても、渋沢翁が実業家としての資質はもちろんのこと、類まれなる人格者であり、多くの人から愛され、慕われた人物であったことが想像できます。来春には渋沢栄一が主人公となる大河ドラマ・「青天を衝け」の放映が始まることや、四年後には新一万円札の新しい顔として登場することなどを考えると、渋沢栄一フィーバーは今後、一段とヒートアップすることは間違いなさそうです。
(ルビィ)

※参考資料/
深谷市ホームページ
深谷市観光協会ホームページ

●気になる来年のねぎ祭り

提供:深谷ねぎまつり実行委員会
提供:深谷ねぎまつり実行委員会

 さてさて、深谷といえばねぎで全国的にその名が知られています。松戸の矢切ねぎも有名ですが、生産量では圧倒的に深谷に軍配が上がります。ちなみに、農林水産省の平成三十年度データによる都道府県別にみた生産量の上位3県は千葉、埼玉、茨城で、この3県だけで全国の生産量の約三十五
%を占めるそうです。ただし、市町村別出荷量では、深谷市が断トツの首位を走っています。
例年、深谷ではねぎが旬を迎える一月末に、駅南口にほど近い瀧宮神社の境内を舞台にねぎ祭りが催され、県内外からたくさんの観光客でにぎわうようです。訪れた参拝者には「福ねぎ」が振舞われるなど、境内はねぎ一色に染まるそうです。写真は今年一月に開催された時の様子ですが、あいにく、来年はコロナウイルスの影響で中止が決定しているとのことです。

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