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水のほとりに宿る女神 松戸に息づく弁財天信仰

2026年6月26日 第760号

 松戸を歩くと、小さな弁天様を見かけることがあります。弁財天は、水と深く結びついた女神です。江戸川や坂川に囲まれた松戸の土地にも、古くから水への祈りが息づいてきました。身近な場所に静かに祀られる弁財天から、この地に根づいた信仰の姿をたどってみます。

 松戸には、弁財天を祀る社が点在しています。馬橋弁財天や池田辯財天、義真弁財天(小僧弁天)をはじめ、平戸弁天、串崎新田の厳島弁財天、上矢切や下矢切の弁財天など、その姿は市内のあちこちに見ることができます。さらに寺院でも、華厳寺や広徳寺、萬満寺、本土寺などの境内に弁財天が祀られています。規模や姿はさまざまですが、地域では親しみを込めて「弁天様」と呼ばれ、今も静かに信仰を集めています。
 大きな神社の主祭神としてではなく、町の守り神のように各地に祀られているのが、松戸の弁財天の特徴と言えるでしょう。こうした弁天様の存在は、水とともに暮らしてきたこの土地の歴史とも深く結びついています。

華厳寺の弁財天
松戸市でもっとも古い弁財天の石祠(広徳寺)
池田辯財天

 松戸は、江戸川と坂川に囲まれた水の土地です。かつては低湿地や湧水も多く、農業や舟運など、人々の暮らしは水と切り離せないものでした。しかし水は恵みであると同時に、洪水や氾濫といった脅威ももたらします。
 神道では、罔象女神(みつはのめのかみ)や弥都波能売神(みづはのめのかみ)などを水神として祀る神社が少なくありません。松戸でも、平潟神社や八幡神社(串崎新田)の祭神として祀られており、おそらくは同地の新田開発の際、豊かな水の恵みを願って勧請されたものと思われます。
 また五香六実では、雨乞いの神として出雲大社から龍神を勧請し、高龗神社が建立されています。インド神話では龍は雲を呼び、雨を降らせる瑞兆として神聖視されてきました。日本に伝わると、雨を司る神である龗(おかみ)や淤加美と習合したといわれます。いずれも「おかみ」と読み、『古事記』や『日本書紀』に登場する代表的な水神、闇龗神(くらおかみのかみ)などと同系の神格です。
 水神は、人が生きるために欠かせない水を与えてくれる一方で、いったん怒りを買えば、洪水や干ばつ、長く降り続く霖雨(りんう)、さらには船の難破などの災いをもたらすと考えられてきました。こうした水への畏敬の念は、江戸川と坂川に囲まれた松戸の人々の信仰にも深く根づいていきます。
 そして、水を司る神を祀る信仰は、やがて水辺に祀られる弁財天信仰とも結びつき、松戸市内各地に弁天様が祀られる背景ともなっていったのです。

馬橋辯財天
平戸弁天

 弁財天もまた、水を司る神として信仰される水神の一つです。日本の神のように思われがちですが、その起源はインドの河川女神サラスヴァティーにあります。幸福・学問・弁舌・音楽・除災をつかさどる福の女神であり、その信仰が仏教とともに中国を経て日本へ伝わり、水を司る神として祀られるようになりました。
 日本ではさらに、音楽や芸能、学問、財福をもたらす神としても信仰され、「弁才天」「弁財天」などさまざまな表記で呼ばれてきました。琵琶を持つ姿で表されることが多いのも、こうした芸能神としての性格を示しています。また弁財天は、川や池、島など、水辺の場所に祀られることが多い神でもあります。
 弁財天が主尊として祀られるようになったのは、平安時代頃からと考えられています。本地垂迹(ほんじすいじゃく)による神仏混淆(しんぶつこんこう)、すなわち「日本の神は、仏や菩薩が姿を変えて現れたもの」とする考え方によって、日本の神である宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)や市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と結びつきました。
 とくに宇賀御魂神との習合からは、穀物や食物をもたらす神としての性格が加わり、弁財天は食物・富貴・名誉・福寿などを授ける神としても信仰されるようになります。この信仰は、しばしば人頭蛇身の姿をした「宇賀神」として表され、弁財天と一体の神として祀られる例も多く見られます。こうして神道と仏教の信仰が一体となり、弁財天への信仰は人々の間に広く広まっていったと考えられます。
 このような背景から、川や池の多い土地では弁財天が祀られることが多くなり、松戸でも各地で弁天様を見ることができるのです。

水神とともに弁財天と刻まれている(下矢切の弁財天)
弁財天の石祠(下矢切)

 松戸で見られる弁天様の多くは、大きな社殿を持たず、小さな社として祀られています。これは信仰が弱かったからではありません。むしろ弁財天が、水という自然の力と深く結びついた神であったことに関係しています。
 そもそも日本における弁財天信仰は、仏教伝来後まもなくに始まったと推定されますが、当初は独尊として祀られる例はほとんどありませんでした。同時期に中国から伝わった吉祥天のほうが、女神として多くの信仰を集めていたようです。
 しかし弁財天は、水を司る神としての性格を持っていたため、日本古来の水神信仰と結びつきながら、次第に人々の間に広まっていきました。川や池、湧水など、水の恵みに深く関わる場所では、自然と弁財天が祀られるようになっていったと考えられます。
 水は流れ、増え、時には姿を変えます。人々はその移ろいやすい力を、完全に支配することはできないと考えていました。そのため水の神は、立派な社殿の中に閉じ込める存在というよりも、水の気配が宿る場所に静かに祀られる存在だったのです。
 松戸の弁天様が小さな社として点在しているのも、水とともに生きてきた土地ならではの信仰の姿といえるでしょう。

 松戸の弁天様は、必ずしも神社の中心に祀られているわけではありません。旧集落の片隅や境内の一角など、さりげない場所に祀られていることが多くあります。
 たとえば、馬橋駅の近くにある馬橋弁財天厳島神社(一般に「馬橋弁財天」と呼ばれる)は、今でこそ街道に背を向けており、「弁天様が恥ずかしがっているから」とも言われていますが、もともとは近くにあった「弁天池」と呼ばれる小さな湧水の池のほとりに祀られていたと伝えられています。その池は戦後に埋め立てられ、社殿は移されましたが、水の神としての信仰は地域の記憶の中に残り続けています。
 こうした小さな弁天社は、地域の人々が身近な守り神として祀ってきたものと考えられます。日々の暮らしの中で水の恵みに感謝し、災いが起こらないよう祈る――。そのような素朴な信仰が、小さな社の姿となって今も残っているのです。松戸の町のあちこちに残る弁天様は、かつてこの土地が水とともに生きてきたことを静かに伝えているのかもしれません。

萬満寺の義真弁才天(小僧弁天)

 都市化が進み、かつての水辺の風景は大きく変わりました。それでも松戸の町を歩くと、思いがけない場所で弁天様に出会うことがあります。
 江戸川や坂川による水害に悩まされてきた松戸では、水神の石祠や石塔などがいくつも見られます。その一つ、有名な「矢切の渡し」の近く、江戸川の堤防の下にある小さな木立の中には、水神の石祠が静かに祀られています。その背面には「弁財天」と刻まれています。
 小さく目立たない存在ですが、それはこの土地で水とともに生きてきた人々の祈りの名残でもあります。弁財天は今も、静かに松戸の町を見守り続けているのです。

■参考図書「松戸史談」「弁才天信仰と俗信」
水神とともに弁財天と刻まれている(下矢切の弁財天)

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