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1位になったこともある松戸の土地区画整理事業

2024年9月20日 第718号

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 歴史ある松戸の街では、いたるところで石碑を目にしますが、江戸時代からのものに混じって比較的新しい(といっても昭和のもの)記念碑も見かけます。道路沿いのちょっとしたスペースや公園の片隅に、わりと大きく立派なものが据えられているのですがお気づきでしょうか。「土地区画整理事業」の記念碑です。
 なぜこんなにもあちらこちらにあるのだろうと調べてみると、松戸市は、なんと、土地区画整理事業の分野で全国1位になったことがあるのでした。どういう1位かというと、市街化区域に対する施工率というもので、それが昭和50年頃に40%に達し、数にして51事業。資料からは名古屋市にも勝ったという当時の誇らしげな様子が伝わってきます。
 なぜそんなに土地区画整理事業が盛んだったのか、松戸ならではの事情と都市化へとまい進していた頃の松戸の一端をご紹介しましょう。

三矢小台

 住みやすい街をつくるために、土地の形を整え、道路を敷き、公園や学校、公共施設などの用地も確保する。規模の違いはありますが、これが大まかな土地区画整理事業の内容です。
 昭和30年ごろの松戸は一面田畑で家もまばら。初期の頃の事業は、畑の作物の関係もあり、「次はどこまで道路を延ばそうか」など地主さんと相談し、決まれば、工事までにその予定地の野菜を引き抜いておいてもらうようにお願いしたり、のんびりしたものだったようです。

三矢小台
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 理由はいくつかあるようですが、一つには急激な人口の増加があります。昭和30年頃に約7万人余りだった人口は四半世紀後の昭和55年には40万人と急増しています。(それから40年余り経ち、今年50万人に達しました。)人がどんどん増えるにつれ、小出しに切り売りされた土地に無秩序に家が建ち始めて、これはまずいぞ、ということで、区画整理のノウハウなどほとんどないところから事業へとのりだすことになります。
 また一つには、昭和32年に制定にされた「首都圏整備法」がきっかけになったようです。これは東京都心の周囲にグリーンベルトとして10㎞幅の緑地帯を設けるというもので、グリーンベルト内は新たに宅地化することができません。ここに松戸はすっぽり入ってしまうのではないかというので、都市化へと目が向いていた松戸の人々は慌てます。

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 ある地区では、法律が施行される前に急いで認可の申請をしなければと、大抵は苦心惨憺、時には年単位で取り付けていた地主さんや地権者からの同意を、一週間から十日ほどでとってしまったということもありました。
 この法律は松戸以外の該当地域からの猛反発もあり、後に改正されることになりますが、またいつそんな案が浮上するか分からないということで、早く市街化を進めてしまおうと、ますます事業に拍車をかける一因になったようです。

緑ヶ丘
緑ヶ丘
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 土地区画整理組合というのは、土地区画整理事業のために地元の有志で作った組合のことで、松戸では多くが公共事業ではなく、組合主導で行われました。市が「一事業に30万円しか補助をしない」という条例を作ったことで、市になんぞ任せてはおけない、自分たちでやろうという流れになっていったようですが、実際には市のアドバイスも受けながら進められたようです。

上本郷第2土地区画
上本郷第2土地区画

 資金は、小さくはなるけれども成型して価値を上げたものを返す条件で、地主さんから提供してもらった土地を活用して作ります。提供してもらった土地は、一部を道路や公共施設の用地に、一部を売却して事業の資金にします。とはいえ、その時どきの事情により金策に銀行巡りをすることもあったようです。

 そもそも土地がないことには始まらない土地区画整理事業。先例がない中で地主さんに土地を提供してもらうのは大変でした。「所有する土地は小さくなるけれど価値は上がるので結果的にお得になる」などという話はなかなか信用してもらえません。緑が失われることへの憂慮の声もある中、整理区画内の地権者全員の同意も必要です。
 ようやく同意を得ても、話し合いで解決せず裁判沙汰になったり、事業予定地に杭を打って回ったはずが翌日にはみんな抜かれて縮小せざるを得なかったり、というようなこともありました。
 生活しやすく整備された施工例が増えてくると、土地の提供に関しての苦労はなくなっていったようですが、地域によって地盤や環境、規模も様々。先例が必ずしも参考にはなりません。着工後に予期せぬ問題が起こることもありました。

七畝割
小根本

 長期に及ぶ事業は時代の運もあります。オイルショックの影響や不況で予定通り土地が売れずに資金繰りに困り、役員みんなで立て替え払いをしたり、また個人の担保で多額の借り入れをしたりするなど、眠れぬ夜を過ごした理事長さんもいました。ある地区では区画整理の設計をした事務所が図面ごと夜逃げをするという珍騒動もありました。
 一方で、土地の売却が上手くいき資金に余裕ができ、当初の予定にはなかったインフラ整備までできたところもあれば、記念館を建てた組合があったり、短期間、小予算で工事を終わらせたり、国や県のモデル事業となったところもありました。いくつかの地区では新たな町名をつけて事業を終えています。
 それぞれにかかえた思い入れや事情、事業の内容は市立図書館所蔵の「未来への遺産」に詳しく載っているので興味のある方はぜひ。記念碑を建てずにはいられない苦労の数々や昭和の豪傑譚、ここに公表しかねるエピソードが語られています。
 年月とともに建物や街並みは変われど、事業で完成した道路や土地の区画は今もほぼ変わることなく引き継がれています。  (たい子)

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◎参考資料/「未来への遺産」松戸土地区画整理組合連合会・「松戸の歴史案内」松下邦夫・「昭和の松戸誌」渡邉幸三郎

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