百庚申 大谷口神明神社(松戸市大谷口)
2024年10月4号 第719号
庚申信仰に基づく庚申塔は、村や集落の入口、田畑の間、山道の途中、道端、井戸のそばなど、人々の生活と密接に関わる場所に建てられました。中国の道教から伝わったものとされ、平安時代から江戸時代にかけて、広く人々の信仰の対象となりました。当初は平安貴族の間で盛んに行われていましたが、徐々に庶民にも広がり、特に鎌倉時代から江戸時代にかけて流行しました。
この庚申塔の小形のものを一つの場所にまとめて並べたものを「百庚申」と呼びます。鰭ケ崎東福寺でも見られますが、東葛地域では数カ所しか確認されておらず、大谷口神明神社の百庚申はとても貴重なものと言えます。
大谷口神明神社の百庚申は二群で構成されていて、全部で一九七基あるそうです。いずれも個人による造立で、女性の名も見られ、江戸時代後期に作られたとされます。当時の記録によると、流山の石工が、小形のもので当時の金一朱、大ぶりのものは銀六匁五分で請け負ったようです。石材の調達や運搬費用なども考え合わせると、当時の一般的な労働者の数カ月分の賃金に相当するような高額なものだったのではないでしょうか。
ちなみに、「千庚申」と呼ばれるものもありますが、こちらは千基の庚申塔がまとめて並んでいる場所ではなく、一度に千の庚申に祈願できることをうたった庚申塔です。近隣では流山などで見られます。 (かつ)
※参考図書/「わがまちブック松戸2」「松戸史談」「流山の史跡をあるく」
◎所在地/松戸市大谷口412
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