ほんとにあるのね♪馬橋駅の『馬橋』
2020年9月4日号 第621号
およそ八十年前、「松戸町」は「松戸市」となりました。このとき、市政への条件を満たすべく、松戸町と合併したのが高木村と馬橋村です。現在の六実駅あたりにあった高木村の名はこの合併の際になくなりましたが、周辺には今でも「高木」の名のつく施設や屋号などが多く見られます。
馬橋村の場合は、村という名こそなくなりましたが、地名として今も使われています。この地域には、「馬橋」の名の由来とされる小さな橋も残されています。残念ながら、今の「馬橋」は昭和の時代に架け替えられたものです。かつての「馬橋」は、馬の鞍のような形だったようで、そこから、周辺が「馬橋」と呼ばれるようになったと伝えられています。
実は、過去の文献から、もう一つの説もあります。安房須神社のあたりに築かれていたらしい中根城と、現在も城跡が残る小金城の間を流れる長津川に架かっていた橋だったことから「間橋(まはし)」と呼ばれていて、それが「馬橋」と称されるようになったというものです。
馬橋の架けられている長津川は、かつては水戸街道を旅する人が困るほど、大雨のたびに荒れていたようです。それを見かねた鎌倉極楽寺の良観房忍性が、馬の鞍の形をした橋を架けさせたところ、それからは大雨でも橋が流されなくなったとも言われています。この良観は、現在の萬満寺の前身となる大日寺を開いた人です。(かつ)
※参考資料/「松戸史談」
◎所在地/松戸市馬橋
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