了源寺(松戸市根木内)
2025年7月18日号 第738号
戦国時代の始まりを予感させる頃、高城氏によって根木内城が築かれました。周辺にはいくつかの集落が点在していましたが、地形の関係から、根木内の地は他の集落からやや孤立していたようです。
その根木内に、本行院日円上人によって本土寺(平賀)の下寺として開かれたのが、了源寺です。本堂は村人たちの寄り合いの場として親しまれ、住職とともに日常生活の中心的な役割を果たしていたと伝えられています。
しかし、明治初年の火災により寺の建物はすべて焼失しました。現在の本堂は昭和三十九年に再建されたものです。
その後も、小金原の宅地造成の波から取り残された形となり、周囲には昔ながらの自然がいまも多く残されています。そうした環境の中で、了源寺は静かな佇まいを見せています。
山門の脇には、「さとり」の境地に達した釈迦の弟子たちを模した七体の羅漢像が並び、訪れる人々を静かに迎えています。 (かつ)
※参考図書/「松戸の寺 松戸の町名の由来 松戸の昔ばなし」
◎所在地/松戸市根木内379


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