東漸寺(松戸市小金)
2026年7月24日号 第762号
東漸寺を開いた経誉愚底運公上人は、若い頃に浄土宗の教えに深く心を寄せ、戦乱で荒れていた故郷(現在の長野県塩尻市)の寺を復興し、「東漸寺」と名付けました。「東漸」という言葉は『易経』に由来し、「教えが少しずつ広がっていく」という意味が込められています。愚底上人は、信濃で再興した寺につけたのと同じ名前を、数十年後に下総の地の寺にも用いました。そこには、浄土宗の教えを東国へ広めたいという強い願いがあったのでしょう。
下総・根木内に開かれた東漸寺は、戦国時代、高城氏(小金城主)の庇護を受け、現在の小金の地へと移りました。
戦国末期から江戸時代初めにかけて活躍した第七世・照誉了学上人は、高城氏の一族、あるいは高城氏当主の子と伝えられています。了学上人は東漸寺の歴史において非常に重要な人物で、開山の愚底上人と並び称されるほどの存在です。
了学上人の時代、東漸寺は徳川家の保護を受け、関東十八檀林の一つに数えられるようになりました。寺には三百人を超える学僧が集まり、関東でも有数の浄土宗の学問寺として大きく発展しました。
愚底上人が東漸寺という種を蒔いた人だとすれば、了学上人はその寺を大きな樹木へと育てた人と言えます。 (かつ)
※参考図書/「写真でみる 自然と歴史をたどる散歩道」
◎所在地/松戸市小金359


















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