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松戸で多く見られる、日本唯一の夢むすび大明神「大杉様」

2021年2月26日 第632号

 江戸川に接する松戸市は、他の東葛地域の例にもれず、ずっと水害に悩まされてきました。それもあって、海河の守護神である「あんばさま」を祭る大杉神社も、水神や五穀豊穣の神として広く信仰されてきました。市内には大杉神社こそありませんが、摂末社は十数社あると言われ、その他にも紙札や木製の御守りとしての大杉様も少なからず見られるようです。この大杉様ですが、実は、日本で唯一の「夢むすび大明神」でもあります。

大杉様の総本社は「阿波(あば)の大杉神社」

大杉様こと、大杉神社は、茨城県稲敷市阿波(あば)に総本社があります。「阿波の大杉神社」として茨城百景に選定されるほどの豪奢な社殿で知られ、「茨城の日光東照宮」の異名を持ちます。
 かつての大杉神社は、常総内海に突き出す格好の半島にあり、境内にそびえ立つ大杉(太郎杉)が航路標識の役割を果たしていました(現在の御神木は次郎杉と三郎杉)。当時はそのあたりが「あんば」と呼ばれており、そこから大杉は「あんばさま」として、利根川水系や太平洋沿岸で生計を立てていた人たちにとっての守護神として信仰の対象となりました。松戸でも、常磐線が開通するまでは、利根川から続く江戸川を使った物資の輸送が中心だったことから、他の水神様とともに、船の守護神でもあった大杉神社も広く信仰されました。
 この大杉神社への信仰は、江戸時代に六十年もの歳月をかけて行われた利根川東遷事業によって、さらなる広がりを見せます。
 かつての利根川は、現在のように太平洋に向かって注がれていたわけではなく、東京湾に向かって流れていました。これを、水害対策や新田開発などの目的で、台地を切り通し、当時の常陸川(ひたちがわ)やその周辺の湖沼を結びつけて利根川の下流とし、東方の銚子に流れるようにしたのが利根川東遷事業です。
 この結果、利根川は、日本最大の流域面積を誇る河川となり、香取海(かとりのうみ)は土砂の堆積によって穀物生産量の多い広大な平野に生まれ変わりました。
 しかし、水害対策に関しては、徳川家康の思惑通りとはいきませんでした。大雨のたびに関連河川で洪水に見舞われるようになってしまい、この恐怖と苦難が、大杉神社の海河の守護神としての信仰域をさらに広げていきました。

香取神社(千駄堀)
香取神社(千駄堀)の本殿
紙札から大杉神社の文字が読み取れる(香取神社)香取神社(千駄堀)
本殿右に大杉神社(香取神社境内)
灯籠と狛犬の間に見える大杉神社(右側の祠)

大杉様の総本社は「阿波あの弁慶と並ぶ海尊の奇跡は大杉大明神のおかげ(あば)の大杉神社」

 大杉神社のもう一つの顔が、日本で唯一の「夢むすび大明神」です。この由来は、平安時代の末期までさかのぼります。
 当時の大杉神社に、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)という僧がいました。そのころは、八百万(やおよろず)の神様を信仰する「神道」と、お釈迦様の教えを基本とする「仏教」を、一つの信仰とする「神仏習合」が叫ばれていて、神社であっても神宮寺と呼ばれる寺があったのです。海尊はそこの社僧でした。
 この海尊は、のちに、あの義経の配下となります。
 平清盛を中心とする平氏が政治権力をにぎるきっかけとなった「平治の乱」で、父である源義朝が敗軍の将となったことにより、牛若丸と呼ばれていた少年時代の義経は、鞍馬寺に預けられました。その後、あの弁慶と運命的な出会いを果たして主従関係を結び、兄の源頼朝の下で平氏を倒すことに力を尽くします。
 頼朝から見限られたあとも、弁慶は無類の忠義ぶりを見せます。東北の平泉へと逃れるための関所越えでは、歌舞伎の「勧進帳」に見られる機転で難をまぬがれます。心変わりした藤原泰衡によって逃げ場の衣河館が襲われたときも、「弁慶の立往生」で体を張って義経を守り続けました。

大杉神社の傍らには多数の碑が(白髭神社)

 海尊も武勇では弁慶に負けておらず、敵方の平氏には弁慶とともに恐れられていたようです。しかし、衣川の戦いのときには、十数人の義経の配下といっしょに近くの山寺へ参拝しており、義経と最期をともにできませんでした。
 そんなこともあってか、弁慶と比べようもないほど海尊の知名度は低いのですが、大杉神社にいたころの海尊は、大杉大明神の御神徳によって病を治すなど、多くの人々を救ったと伝えられています。
 このような不思議な力を発揮していた海尊なので、不老不死であったために義経と最期をともにできず生き残ったともされます。その後も四百六十年以上生きて、「清悦」や「残夢」などと名乗りながら、義経のことを伝え歩いたそうです。

白髭(しらひげ)神社
白髭(しらひげ)神社 正面入口
二つ目の鳥居をくぐると左に大杉神社(白髭神社)
大杉大神と刻まれた碑とともに(白髭神社)

「ねがい天狗」と「かない天狗」が願い事をかなえる

 義経死後の海尊については、天狗になったという説もあります。その容貌が天狗に似ていたとも
言われており、大杉神社では、天狗を大杉大明神の眷属(けんぞく)、すなわち従者であるとし、海尊の不思議な力に由来し、日本で唯一の「夢むすび大明神」としています。当初は烏(からす)天狗のみを眷属としていましたが、のちに陰陽一対として鼻高天狗と烏天狗の両天狗を眷属とし、「一の鳥居」に両天狗をそれぞれ「ねがい天狗」と「かない天狗」として祭るようになりました。
 その昔、天狗は、すぐれた僧がその死後になる、と言われていました。義経こと牛若丸に剣術を教えたと伝えられる鞍馬山僧正坊をはじめとして、天狗の名前に坊名や僧階、僧職などが付いていることからも、それがわかります。
 幸いにも、松戸には大杉神社が多く見られます。いずれも境内に設けられた小規模の神社(摂末社)ですが、「阿波の大杉神社」と同じ御祭神なので、同じ御利益、すなわち御神徳があります。近隣で大杉神社に心当たりがあるなら足を運んで「願いをかなえてもらう」のもいいでしょう。
 今回訪れたのは、JR新八柱(新京成八柱)駅から近い白髭神社と、香取神社(千駄堀)の二箇所ですが、大杉神社がかつての香取海のそばにあったこともあって、香取と名のつく神社で大杉神社の摂末社がよく見られるようです。
(かつ)

※主な参考資料/
「松戸史談」「松戸市史」「雪国の春」「天狗の研究」

お詫びと訂正
2月26日号一面記事内容に誤りがございました。UKIUKI本紙の本文2段目7行目から「かつての利根川は、現在のように東京湾に向かって流れていたわけではなく、」正しくは→「かつての利根川は、現在のように太平洋に向かって注がれていたわけではなく、東京湾に向かって流れていました。」
訂正してお詫び申し上げます。 
UKIUKI編集室

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