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松戸から下矢切への坂川ウォーク

2021年8月20日 第644号

今から二百年ほど前までは、「坂川」は「逆川」と呼ばれていました。「坂川」と文書にも記されるようになったのは、「赤圦樋門」(松戸)までの延長工事(掘り継ぎ)が完了してからのことです。それまでは、想定した通りの流れにはなっておらず、普段は江戸川付近が下流から上流へと逆流していました。それからさらに三十年以上かけて、現在の柳原水門(下矢切)まで坂川は延長されました。今回は、これらの延長された坂川に沿って歩いてみました。約一時間の行程となりますが、途中にコンビニはおろか自販機すらほとんどないので、記事を参考に歩くときには、水分や軽食などを十分に用意しましょう。

 

樋野口排水機の稼働で、やっと坂川の水害が落着

出発地点は江戸川堤防沿いに設置されている「坂川排水碑」(①)です。松戸駅からは西口を出てまっすぐに進めば、堤防に突き当たったところで、その周囲に樋野口排水機場とともに見つかります。江戸川の堤防からなら、松戸駅付近でやはり樋野口排水機場が目につくので、その前に設置されている「坂川排水碑」がわかるはずです。
 碑の脇の「坂川排水碑について」に記されているとおり、明治時代の終わりに樋野口排水機場が完成したことで、長年にわたる水害からやっと開放されました。
 くしくも、その翌年に起きた百年ぶりとも言われる大洪水で、その排水能力が証明されています。関東各地の堤防が次々と決壊していくなか、当時の江戸川水域最大の排水能力を誇った樋野口排水機が、蒸気機関特有の黒鉛を煙突から吐き出しながら、坂川周辺の水田を水害から守りきったのです。(現在の樋野口排水機場は、平成時代に改築されたものです。)

① 坂川排水碑

赤圦樋門まで延長され「逆川」が「坂川」に

堤防を江戸川のほうにおりると、江戸川との間に小さくて短い「ふれあい松戸川」(②)があります。かなり問題のあった坂川の水質を改善するべく、古ヶ崎浄化施設できれいにした水を下流へと戻すために作られた川です。
 この「ふれあい松戸川」に沿って矢切の方へ歩くとすぐに次の水門があります。この水門を目印に、再び堤防にのぼると、道路を挟んで小さな「赤圦橋」が見え、その橋の上から「赤圦樋門」(③)を見つけることができます。この樋門を入り口に、堤防の下をトンネルが掘られていて、それを使って江戸川への排水が行われています。
 坂川の最初の延長(掘り継ぎ)は、この「赤圦樋門」まで行われました。逆川の下流をもっと低地まで伸ばすことで、流れを正常にし、まともな収穫が三年に一度と言われるほどのひどい水害を解決しようと考えていたのです。
 ところが、逆流することはなくなって「逆川」が「坂川」と呼ばれるようになったものの、流れは悪いままで、相変わらずの水害が周辺の住民を悩ませ続けました。

② ふれあい松戸川

③ 赤圦樋門(あかいりひもん)

川の流れを改善するべく、さらなる延長を提案

このまま坂川に沿って行きたいところですが、極端に狭い道もあるので、常磐線を目指すようにして、いったん広い鮮魚街道(旧水戸街道)に出ましょう。鮮魚街道を矢切の方へ進めば、左手にすぐ「松戸神社」(④)の鳥居が見えてきます。
 鳥居をくぐると、拝殿に渡るための小さな「潜龍橋」が坂川にかかっています。
 松戸には、水害への苦難の歴史があるので、水神や稲荷神社がよく見られます。「松戸神社」にも境内末社として「水神宮」と「稲荷神社」が設けられています。「稲荷神社」は、狛犬ならぬ狛狐で知られますが、「いなり」は「稲がなる」が詰まって呼ばれるようになったと伝えられる農業神です。
 坂川を矢切の方へと下っていくと、明治時代に造られた、アーチ状のレンガ造りの水門としては千葉県内でもっとも古いとされる「小山樋門」(⑤)があります。
 このあたりは、さきほどの「赤圦樋門」からさらに延長された坂川ですが、当時の役所にその計画を提出するまでに約二十年、実際の工事に取り掛かるまでにそれから三十年以上を要しました。掘り継ぎの工事そのものは一年もかからなかったのですが、周辺の村々の取りまとめなどが大変で、それに年数がかかったのです。

④ 松戸神社
⑤ 小山樋門

昭和から平成にかけて造られた国分川分水路

なおも坂川に沿って、その右側や左側の道を進みますが、実はそのままでは東京外環自動車道をくぐり抜けられません(⑥)。ある程度まで進んだら、少し坂川から離れた道を使い、自動車道を抜けてから坂川に戻ることになります。
 自動車道をくぐり抜けると、急に視界が開けます。畑が広がり、坂川に戻ってからも、心地よい川風を浴びながら、気持ちよく川沿いを進めるようになります。
 一息入れるなら、「坂川親水広場」(⑦)がいいかもしれません。トイレもありますし、ベンチもいくつか用意されています。「国分川分水路」(⑧)は、この「坂川親水広場」の目の前です。
 昭和から平成の時代にかけ、二十年余りを要して造られた「国分川分水路」は、地下水路で国分川とつながっています。工事中には大事故もあり、国分川側の地下水路の出口には、その慰霊碑も設置されています。

⑥ 坂川を横切る自動車道
⑦ 坂川親水広場
⑧ 国分川分水路

延長された坂川は、柳原水門で江戸川に自然流下

⑨ 柳原水閘
⑩ 柳原水門

坂川は、「柳原水門」(⑩)で自然流下し、江戸川に注がれます。この水門の手前には、明治時代に造られた「柳原水閘」(⑨)が当時のままに残されており、松戸指定文化財に指定されています。
 ここまで延長されたことで、坂川流域の水害はずいぶんと減りました。
 坂川流域が長きにわたって水害に悩まされてきたのは、大昔には海の底にあったからです。それが少しずつ陸地化されていき、東京湾が形作られました。それでも、しばらくは松戸駅近くの高台付近まではまだ海で、松戸に多く見られた貝塚がそれを示しています。
 この海抜の低さに加えて、江戸時代の浅間山の大噴火による利根川水系への土砂の流入が、坂川流域の水害を助長しました。
(かつ)

◎主な参考資料/
「松戸市史」「松戸史談」「イラストまつど物語」「わがまちブック 松戸」「干潟のゆくえ」「松戸の歴史案内」

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