明戸古墳石棺(市川市国府台国府)
2022年11月4日号 第673号
明戸古墳石棺(あけどこふんせっかん)は、全長四十メートルの前方後円墳である「明戸古墳」の墳頂近くに造られていた二基の石棺です。周りからは、祭祀や魔除けなどのための素焼き土器、いわゆる埴輪(はにわ)も見つかりました。そこから、聖徳太子の活躍した六世紀末頃のものであることがわかっています。
前方後円墳は、邪馬台国(やまたいこく)の女王として知られる卑弥呼(ひみこ)が歴史に登場した二世紀後半から造られるようになり、日本史上初の女帝である推古(すいこ)天皇の誕生とともに徐々にその数が減っていきました。
実は、千葉県における前方後円墳は、ほとんどの地方で造られなくなってきたその頃から盛んになっています。千葉県は、古墳時代になってから繁栄したからです。結果的には、小規模なものが大半ではありましたが、全国でもっとも前方後円墳の多い県となりました。明戸古墳はちょうどその頃に造られました。
見当たらない石棺のふたは、同じ里見公園にある「夜泣き石」の台座となっているそうです。 (かつ)
※参考図書/「新編市川歴史探訪 下総国府周辺散策」「女系で読み解く天皇の古代史」「「馬」が動かした日本史」
◎所在地/市川市国府台国府3・67・5
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