本源寺(松戸市大橋)
2024年12月20日号 第724号
徳川家康が江戸幕府を開く直前、まだ豊臣秀吉が天下人であった頃、了修山本源寺は開山されました。この寺を開いたのは、日楽という法名で仏道に励んだ秋山虎康です。
秋山虎康は、武田二十四将として名高い秋山虎繁の甥であり、共に武田氏に仕えました。信玄亡き後は勝頼のもとで働きましたが、高天神城を見殺しにした勝頼に反発し、信玄の姉婿であった穴山信君をはじめ、多くの武田家中が離反しました。虎康も二人の兄弟と共に徳川家康に仕えますが、「本能寺の変」直後の伊賀越えでその二人を失ってしまいます。さらに数年後には、穴山信君の養女となって、家康の側室入りしていた娘(秋山夫人)が二十四歳の若さで病死します。
これらの出来事を契機に、虎康は仏道に精進するようになり、日楽として数年後に本源寺を開基します。寺名は、秋山家が源氏につながることと、秋山夫人が本土寺と関わりが深かったことに由来します。
現在、その本土寺には秋山虎康からその孫に至るまでの一族全員が埋葬されています。また、同寺には、水戸黄門によって改葬された秋山夫人の墓もあります。 (かつ)
※参考図書/「「戦国大名」失敗の研究」「イラストまつど物語」「東葛流山研究」「松戸の寺 松戸の町名の由来 松戸の昔ばなし」
◎所在地/松戸市大橋766ー1
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