五助道 ごすけみち
2025年1月24日号 第726号
『わがふるさと金ケ作陣屋と村の物語』に。五助道という道が掲載されています。
江戸幕府の将軍は、御鹿狩を小金牧で行いました。江戸城から向島、小菅、金町を経由し、国道464号(別名鮮魚街道:御成道)を通って小金牧の中の中野牧に向かいました。
将軍の鹿狩は大イベント。大変な人数が動員されました。御鹿狩に参加した旗本やその家来などの勢子(獲物を追い込む等する役目)だけでも2万人を超えることがありました。彼らは水戸街道からのコースと市川の国府台から金ケ作ヘ向かう五助道コースに別れ中野牧を目指しました。
その五助道の入口付近に見えるのが、愛宕神社の入口の巨大な大銀杏。約1㎞行くと、いちご公園があります。名前は区画整理前の「市後」の地名です。近くまで海進していた時代、川市が立ち、市の後の方が由来です。公園の隅にある庚申塔には「東大はし・北金ケ作・南市かわ・西松戸道」と刻字されています。(タケ)
※参考資料/「金ケ作歴史情報」第32号
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