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江戸川の蒸気船 多彩な行き先、意外な乗客

2025年6月20日 第736号

 子どもの頃、兄の地図帳を拾い読みしていて、ヨーロッパの「可航河川」や「運河」が網の目のように描かれた図解に引き寄せられました。パリもブリュッセルもベルリンもプラハも、川船があれば「水の道」を伝い行き来できる、と興奮したものです。そんな内陸水路の本格的な船旅って、日本では無理と思いきや、実はできていた時代があったんです。

『東京両国通運会社川蒸汽往復盛栄真景之図』/千葉県立関宿城博物館所蔵
錦絵の右部分を拡大

 一枚の絵から、まずは見ていきましょう。色鮮やかなこの錦絵は、野沢定吉(歌川重清)の作。明治10年代後半に恐らく刷られました。両国橋を画面左に、右手には開化期の香りただよう発船所の建物。青い水面にひときわ映えるのは、煙をはく外輪船で、「通運丸」の文字も読めます。
 これは隅田川で江戸川じゃない、と責められそうですが、細部まで注視すれば発船所に掛かる札には右から「行徳揚」「市川揚」「柴又揚」「松戸揚」「関宿揚」と、馴染みの川沿いの地名が!なお「揚」は、人や荷を揚げる場所……港という意味らしく、松戸揚は「角町下横町通り」が江戸川に突き当たる辺りにあったようですよ。
 東京東部の小名木川と新川(p・2概略図を参照)は、約400年前に開かれた運河です。辿っていけば隅田川筋からでも海に出ることなく、今の江戸川流域へ航行可能。古くからこれらの川は物流の大動脈だったのです。

 時代が移ると、まとまった客を乗せる欧米型の蒸気船も登場。早くも1871(明治4)年、東京深川万年橋~中田(現在の茨城県古河市)間で「利根川丸」の運航が始まりました。その6年後、内国通運会社が「通運丸」をデビューさせます。どちらも水車型の外輪を回して進む船でしたが、通運丸は次第に隻数を増やし、新航路が順次拓かれていきました。あまたの行き先の船が往来していた江戸川。まさに超重要な「水の道」と言えますね。
 定期船は東京側では、両国のほか蛎殻町や高橋、扇橋などが出発地でした。では行き先には、どんなところがあったのでしょうか?

現在の江戸川、小高く見えている市川市国府台の台地の奥(上流側)が松戸方面

 現在の栃木県佐野市と栃木市を結ぶ「笹良橋」の名がつく湊がその一つ。蒸気船が利根川の支流の渡良瀬川へ入り、さらに支流の三杉川をも遡っていました。利根川本流をみると、赤岩(今の群馬県邑楽郡の一地区)まで、ある時期、達していたようです。
 興味深いのは1877(明治10)年5月に就航した、高浜(現茨城県石岡市)まで丸1日以上かけて達するロングルート。東京を発し江戸川から関宿で利根川下流へ折り返し、霞ヶ浦へ分け入っていました。でもこの航路、関宿から利根川・鬼怒川合流点までの浅瀬群がネックで、継続は難しかった模様です。
 利根川下流域と東京方面との往還の妨げだった「浅瀬問題」を解決し、関宿までの遠回りも大幅にショートカットしたのが、利根運河です。1890(明治23)年初夏に竣工。利根川の太平洋への注ぎ口・銚子まで、東京を発し18時間強で直結する便などが、しばらく経って新設されました。佐原で船を乗り継げば、霞ヶ浦や北浦の沿岸各地へも行けたそうです(次のページにある概略図では、利根運河の盛期が終わろうとする明治の末近く、どんな航路があったのかご覧になれます)。

行方市の浜から望む霞ヶ浦、ほぼ正面、筑波山の方角に高浜の港がありました
『成田土産名所尽 行徳新河岸市川』/船橋市西図書館所蔵
森鷗外(出典 : 国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

 上の通運丸の浮世絵は、歌川広重の作品!ただし有名な初代でなく、その養女の婿の広重(三代)です。1890(明治23)年刊の10枚揃中の1点で、常夜灯の建つ江戸川・行徳の舟付場の景。画家は実際、船に乗ったかもしれませんね。
 少し時を巻き戻して1882(明治15)年2月の夕べ。市川は国府台の崖下を進む通運丸に、若き副医官・森林太郎(後の森鷗外)をまじえた一団が乗船していました。東京を発したこの夜行外輪船は、翌朝に茨城県の古河着。彼らはそこで上陸し、栃木・群馬・長野・新潟を徴兵検査で巡りました。
 この旅を記した『北游日乗』の冒頭近くで、鷗外は国府台下での感興を漢詩に作り、戦国大名の里見義弘や万葉の悲劇のヒロイン・手児奈を偲んだりしています。できればもう数㎞川上で、松戸の美女か誰かを吟じてくれていたら!でもその前に寝たらしく、次の文はもう朝。「古河に着きしは午前五時なりき」と下船しちゃってました・笑。

利根運河とふれあい橋、前へ進むと江戸川へ、後ろは利根川へ

 川蒸気の隆盛は短期間でした。総武鉄道の本所~銚子間が1897(明治30)年に開通するなど、速くて便利な鉄道が各所に拡がります。厳しい競争の果て、大正・昭和と移りゆく中、蒸気船は徐々に消えていきました。
 栄華の跡を探りに、東武野田線・運河駅から北に歩き、利根運河べりへ!当時より水位は下がり土手が広やかです。橋を渡り左折しやや行くと、開削を指揮したオランダ人技師ムルデルの顕彰碑や、流山市立の運河水辺公園が。その先の利根運河交流館にしても駅より徒歩数分と、アクセス良好です。
 場所は変わりますが、利根川・江戸川エリアの内陸水運を学ぶのにおすすめなのは、千葉県立関宿城博物館。今年1月には、こちらの館所蔵を含む川船関連資料に対し、国登録有形民俗文化財に登録するよう答申があり、さらに注目です。交通の便などを「関宿城博物館」で検索して調べ、訪問されてはいかがでしょうか。 (さっくん)

「入館」より「登城」と言い表したくなる関宿城博物館

■参考文献/『新編・川蒸気通運丸物語(山本鉱太郎著)』『図説・川の上の近代』『通運丸で結ばれた関宿・野田・流山』「・外全集・第35巻」など

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